中日元オーナーの白井文吾さん死去 「フロント取材」のイロハを学んだ方 元担当記者が悼む
中日の元オーナーで中日新聞社名誉会長の白井文吾(しらい・ぶんご)さんが、10月29日に老衰のため死去した。96歳。愛知県出身。葬儀は近親者で執り行われた。喪主は長男伸明(のぶあき)さん。12月10日に名古屋市内で、お別れの会を開く。黄金時代に尽力した名物オーナーが、静かに去った。 【悼む】「名物オーナー」の代表格の一人だった。頭が切れ、弁が立つ。“オレ流”を貫いた落合監督時代は、スポンサーやメディアからの少なくない批判をらつ腕で封じ込めた。白井オーナーでなければ、今世紀の4度のリーグ優勝はなかった。 監督の去就問題などが浮上したオフは、閑静な住宅街にある自宅近くに連日朝から張り込んだ。必ず応対してくれたが、今思えば、当時20代の記者はいつも手のひらの上で転がされていた。拙い質問に故事成語を交えて返答され「どういう意味だったんだ?」と頭を抱えた。 当初は近寄りがたい雰囲気だったが、13年に愛妻を亡くされてから少し印象が変わった。自宅取材で呼び鈴を押すと、外まで出てきて長時間、話してくれることが増えた。相変わらず本音を引き出すのは困難だったが、記者との腹の探り合いを楽しんでおられたように思う。野球取材歴20年を超えた自分にとっては「フロント取材」のイロハを学んだ方だった。 (02~06、09~15年中日担当・山添 晴治)