コカ・コーラを日本一売った男が営業人生を振り返る...部門移動や挫折を経て辿り着いた営業マンの「極意」
地方のFラン大学卒で0から営業を始めた著者は、いかにして「日本一の営業」へと大変貌を遂げたのか? 「毎日が凄く辛い」「外回りをしている自分が情けない」...消極的に取り組み始めた営業の仕事が天職になるまでには、どんな心境の変化があったのか? 人と人との関わり合いである営業で得た「学び」には、どんなビジネスにも活かせるヒントが満載。仕事への向き合い方や他者の心の動かし方に迷うビジネスマン必読の話題作『コカ・コーラを日本一売った男の学びの営業日誌』(山岡彰彦著)から、内容を抜粋して紹介する。 【漫画】頑張っても結果が出ない…「仕事のできない残念な人」が陥るNG習慣 『コカ・コーラを日本一売った男の学びの営業日誌』連載第14回 『営業としては「失格」だったのに...国際的に活躍するシェフの心を開いたコカ・コーラ社営業マンの意外な「姿勢」』より続く
未知の山奥へ…
ボトルや缶の商品を販売するレギュラー部門から、ファストフード店やレストランのドリンクバーのように、飲料の原液からその場でカップやグラスで提供する商品を製造して販売するフードサービス部門への異動は、まるで未知の山奥に足を踏み入れた感じでした。新規開拓担当と言われても、どこから、何をすればいいのかまったくわからない状況で、訪問先の厳しい対応にメンタルを鍛えられまくりです。 よく、人生は山あり谷あり、と言ったりしますが、フードサービス部門の山はかなりの高さでした。これを乗り越えた先に、希望の頂が待っていると自分に言い聞かせましたが、営業の山道は土砂崩れの連続です。
見えてくる営業スタイル
それでも、何とか道は見つかるものです。山の神ならぬ、営業の神様は、ちょっとものの見方を変え、いままでとは違った工夫をすることで、顔をのぞかせてくれます。違った見方や工夫によって自分の営業スタイルを大きく変えることができたのです。 その見方とは、自分たちの商品があったら、そこに集まる人たちが嬉しいところ、助かるところはどこだろうという視点。そういった視点から営業を考えることで、いままでに取引のない、家具店、パチンコ店、葬祭会館、といった大きなところを、相次いで新たな取引先にすることができました。それまでのレギュラー部門にいたころの営業時代には考えもつかなかったところでした。 さらに、フードサービス部門は仕事内容も特殊なゆえに、レギュラー部門ではほとんどなかった担当者レベルでの他のボトラー社との交流も容易にできる環境がつくられていました。 当時、全国には北海道から沖縄まで17のボトラー社がありました。それぞれが違った地域環境で営業活動を進めています。それは見方を変えれば、さまざまな営業のノウハウが全国にあるということです。これを自分の営業に活かさない手はありません。 上司の承諾を得て、クルマを走らせ、お隣の山陽コカ・コーラ社の営業担当を訪ね、そこでの商談のやり方、提案内容を、現場で教えてもらいます。幾度となく得意先への訪問にも同行させてもらいましたが、その度に、新しい発見がありました。