「伝える側になれたら面白いなと」競泳・今井月(24歳)が引退後に明かした“今後のキャリア”本音…「あの取材はイヤだった」経験も生かしたい
「ああいう取材はいやだったな」の経験も生かしたい
伝えてもらう重要性を知り、また中学1年生の日本選手権前のような経験もしている。メディアの世界に身を置くことでその両面をいかせるとも考えている。 「伝えてもらうことの魅力も、いやだったことも、肌で、身をもって感じてきました。経験をいかして、自分にしかできない、相手に寄り添った伝え方だったり、取材の仕方というのができるんじゃないかなって思うんです。『ああいう取材はいやだったな』とか、それこそいきなり目の前にカメラがいたときはこういう気持ちだったというのが分かるからこそ、伝える側になれたら面白いんじゃないかな、と。それでも、現役のときはメディアに伝えてもらうことの重要性ってなかなか考えられないじゃないですか。メディアと選手をうまく橋渡ししてくれる人がいるといいなと思っていて、それも伝える側に立ちたいと思った一つの理由です」 加えてこう語る。 「漠然としてますが、スポーツというジャンルで括るのではなく、色んな事をどんな形でも『伝える』という事に挑戦してみたいです。 どんなにすごい選手でもいつか現役を退く時が来るし、私はそれが今だったからこそ、今まで自分が頑張ってきた事を言語化できたり活かせないと、これまで頑張ってきた自分にも失礼だと思ったので、セカンドキャリアにも真剣に向き合いました。変なプライドは捨てて、やったことのないことにも挑戦する期間や、社会人の先輩にいろんな話を積極的に聞きに行ったり、有意義な時間を過ごしていました」
背中を押してくれた“父からの一言”
競技から離れ、外の世界に触れる時間が増えたことで、変化も起きているという。 「水泳を通して学んだことって、自分で言語化するのが難しくて、とても考えさせられる時間でしたね。自分がこれまでやってきた意味とか、なんでここまで頑張ってこれたのか、続けてこれたのか、そういうのを考えるすごくいい機会になりました」 今井はその答えをこう導き出している。 「自分がうれしいとか悔しいとか、感謝の気持ちもそうですけど、いろいろな感情を表現する、誰かに伝えたい、表したいとなったときにやっぱり泳ぐことが自分にいちばんできることで、だから続けることができたのかなと思っています」 ふと、こう付け加えた。 「兄から聞いたんですけれど、父親がこんなことを言っていたそうなんです。『これから飛び込む社会という名のプールは、(閉館した東京辰巳国際水泳場や東京五輪の会場でもあった東京アクアティクスセンターのある)辰巳のプールなんかよりもっと長くて深いから溺れないようにな』」 後押ししてくれる家族も力に、アスリートとして身につけた力を武器とし、新たな世界を目指し、日々活動している。《インタビュー第1回も公開中です》
(「オリンピックへの道」松原孝臣 = 文)
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