「伝える側になれたら面白いなと」競泳・今井月(24歳)が引退後に明かした“今後のキャリア”本音…「あの取材はイヤだった」経験も生かしたい
15歳でリオデジャネイロ五輪に出場するなど、若くして脚光を浴びた競泳の今井月が引退を表明した。現在24歳の彼女が、思い描く“今後のキャリア”について赤裸々に明かした。《引退特別インタビュー全2回/前編から続く》 【美写真】「えっ、何頭身なの…?」天才少女と呼ばれた今井月の“長~い手足”としなやかな筋肉。一躍脚光を浴びた15歳の頃の初々しい笑顔、現在24歳になった大人っぽい表情も。この記事の写真を見る。
引退発表後に明かした“今後のキャリア”
今井月は競技生活を退いた。もちろん、人生はこれからの方が長い。 自分は新たにどこへ進むのか、考えた。 「今までこれだけ頑張ってきたので、形を変えても経験を生かせるようなことはしたいなと思っていました。ただ、例えばコーチになるのはちょっと向いてないと思うので、そういう道は考えませんでした」 考えた末、自分なりに答えを導き出した。 「これまでしてきた努力やいろいろな試練を乗り越えてきたこと、行ってきたこと、そういったものを違う形でやれるような仕事をしたいなと思ったときに、小さい頃から身近にあったメディア関係にも興味があり、そういった事に携われたらいいなという思いもあります」
かつては取材カメラに“葛藤”があった
思い起こすのは、今井が12歳だった中学1年生のときの日本選手権で3位となり、大きな脚光を浴びたことだ。以前の取材では、その頃の出来事をこう語っている。 「中学校への初登校の日、『行ってきます』と玄関を開けたらテレビカメラがいました。地元の局ではなくて、全国放送の番組です。前もってアポイントがあったわけではなくて、私は知らなかったし、父親もびっくりしていた気がします」 練習に行けば練習のプールにもカメラはあった。 「嫌でしたね。学校初日だったので、『やばい奴』って思われるじゃないですか。やっぱり恥ずかしかったですし、自分の中ではすごいことしちゃったのかもと思いながらも、そんなすごい選手じゃないのに、こんなにテレビの方が来てとか葛藤がありました」
「メディアに追われる立場」だったからこそ
その後も中学生の頃に大手企業がスポンサーにつくなど、寄せられる期待は大きく、おのずと注目も集め続けた。いわば「メディアに追われる」立場にあった。 「若い頃はもちろん、うっとうしいなと思っていたときはあります」 ただ、競技生活を振り返ったとき、注目されることの意味をあらためて思った。 「これまでいろいろな人に応援していただいたり、水泳選手としての今井月という存在を知ってもらったりしたのは、やっぱりメディアによってだと思います。 本当にちっちゃい頃から取材してくださっている方とは、本当に家族みたいに仲良くさせてもらって、結果が出ているときだけじゃなく、困難を乗り越えていく姿も取り上げていただいたので、本当の自分を伝えてもらえていたような気がします。それに心を動かされたって言ってくださるファンの方もたくさんいました。『応援したくなりました』とか『頑張りを見て勇気をもらえました』とか、そういう言葉がまた自分の原動力になる部分があったので。自分がパワーをもらうためにも、本当の自分やいろいろな姿をリアルに伝えてもらうことは大きかったです」
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