戦後初の国産旅客機「YS-11」がロールアウト式典1962で初披露【今日は何の日?7月11日】
●苦難を乗り越えて完成したYS-11は50年以上日本の空を飛行
優秀な航空機技術者が集まったとはいえ、戦前は軍用飛行機が主体だったので、民間用の旅客機を作った経験がほとんどなく、開発段階でさまざまな困難に見舞われた。 「YS-11」の基本要件は、座席数60、滑走距離1200m、航空距離600海里(約1100km)であり、それを満たすエンジンとしてロールス・ロイス製の双発ターボプロップエンジンが選ばれた。ターボプロップエンジンは、ガスタービンエンジンの一種で、ターボで圧縮したガスを燃焼させてそのエネルギーでタービンを回転、それと連動したプロペラを回転させる機構である。 苦難を乗り越え1964年8月には、「YS-11」の初号機を全日空(ANA)に納入し、その後日本航空(JAL)、東亜国内航空、エアーニッポン、日本エアコミューター、南西航空にも納機。しかし、1973年に採算悪化により製造総数182台で生産終了、1983年には日本航空機製造も解散した。 旅客機としての「YS-11」は、2006年9月30日の日本エアコミューターによる国内定期便の運航が最後となった。なお、航空会社以外にも国交省航空局や自衛隊でも運用していたが、こちらも2021年3月17日自衛隊の飛行点検機「YS-11FC」が最後のフライトとなり、ついに50年以上にわたる「YS-11」の歴史の幕を下ろしたのだ。 ・・・・・・・・ 「YS-11」の後を継ぐ形で進められていた三菱重工の小型ジェット機「MRJ(三菱スペースジェット)」の開発中止が、2023年2月に発表された。一方2024年3月には、経産省が2035年頃をめどに官民で次世代の国産旅客機の開発を進めると明らかにした。MRJの反省を生かしたいところだ。 毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。
竹村 純
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