早田ひなが満身創痍で手にした「世界最高の銅メダル」。大舞台で見せた一点突破の戦術選択
リザーブだった東京五輪、過酷だった選考レース
2021年、東京オリンピック。早田はリザーブ選手として会場にいた。早田ほどの実力者が、主力選手のためにボール拾いをしていた。 あれから3年の月日が流れた。いろいろなことがあった。オリンピックの日本代表入りを目指す選手たちは、「過酷すぎる」と批判まで出るような過密なスケジュールとなる代表選考レースの日々を過ごした。その過酷な試練を乗り越え、早田は日本のエースとしてパリ五輪に臨んだ。 そんな中で、卓球の神様は、早田ひなに最後の試練を与えたのだろうか。テーピングを巻き、痛み止めの注射まで打った早田ひなの左腕は、あまりにも残酷な現実として、早田を苦しめる。 それでも、この左腕でやるしかない。そして早田は、この大舞台でプレーできる喜びを全身で感じ取り、試合を楽しみ、笑っている。 第6ゲームの後半、激しい打ち合いで9-6となった場面では、神がかったようにバックハンドも決まり出す。切り替えしながらのラリー。フォアもバックも、どちらも入る。 そして、常に最善策を模索し続けた早田に、卓球の勝利の女神は微笑んだ。手首で小さくキュッと切った回転の強い下回転でサービスエースが決まり、このゲームを制した。 オリンピックは4年に一度しか行われない。オリンピック期間中、さまざまな競技を入れ替わり立ち替わり見ていると、そんな当たり前のことを、つい誰もが忘れがちになる。しかし、決して忘れてはいけない。ここまでたどり着いた選手たちの試合には、人生を懸けて日々研鑽を積み重ねてきた選手たちの弛まぬ努力の結晶が、一瞬一瞬にすべて詰まっているということを。 この日、世界中のスポーツファンが目撃したのは、世界3位の銅メダルではなく「世界最高の銅メダル」だった。 <了>
文=本島修司