『虎に翼』が描いたありとあらゆるものからの“解放” 寅子の「はて?」をいつまでも胸に
NHK連続テレビ小説『虎に翼』が最終回を迎えた。『虎に翼』を観ていて気付かされたことが2つある。 【写真】一人二役で重要な役割を担った片岡凜 1つは、私がこれまで抱いてきた「はて?」は、本作の主人公・寅子(伊藤沙莉)たちの時代から、現在に至るまでを生きてきたすべての“私たち”が抱いてきた「はて?」だったということ。もう1つは、本作で描かれている、第129話の寅子の言葉を借りれば「生い立ちや信念や、格好、男か女かそれ以外か」すべての“私たち”の「はて?」、つまり社会全体の「はて?」は、本来一個人である私自身の「はて?」であるべきだということだ。 『虎に翼』は、寅子、花江(森田望智)、そしてよね(土居志央梨)ら女子部の面々の連帯と各々の人生を通して女性たちの物語を描き、さらに、日本国憲法14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」を軸に、それでも存在する数多の不平等や差別と対峙する人々の姿を描いた。 日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ三淵嘉子さんをモデルに、吉田恵里香脚本が作り上げた本作の主人公「猪爪/佐田寅子」が、最終話である第130話で、年を重ねて重くなった身体を脱ぎ、「連続テレビ小説」の表記を揺らすほど軽やかな姿で現れた。 平成11年、幽霊として、自分とは全く異なる人生を生きる娘・優未(川床明日香)を見守る寅子は、ちゃんと優未の中に根付いていた。そして彼女の「私にとって、法律ってお母さんなんだよなあ」と思い、それは「皆の中にあって、寄り添ってくれるもの」なのだという言葉は、これまで寅子が何度も口にしてきた「法律とは何か」の問いに対する優未なりの答えであるとともに、『虎に翼』を観終わった後の視聴者の心の中に、寅子が入ってくる瞬間のようだった。 きっとこれからも「はて?」となる瞬間は何度だって訪れる。でも「はて?」とすら思えずに「それが当たり前だから」と流されていくほうが怖い。特に終盤、寅子と寅子の仲間たちの生き方、考え方を描くことを通して本作は、現代を生きる私たちがちゃんと迷わず「自分で選んだ地獄の道」を突き進めるように、道しるべのような存在になろうとしたのではないだろうか。 最終週である第26週は、盛りだくさんの内容だった。そして、鍵となる存在は、新潟編に登場した美佐江(片岡凜)そっくりな少女・美雪(片岡凜・二役)だった。美雪は、まるで寅子が救えなかった美佐江の亡霊のような存在として、あの時答えることができなかった「どうして人を殺しちゃいけないのか」という問いを繰り返す。 さらにナイフを取り出した姿は、第73話において寅子に刃物を振りかざした瞳(美山加恋)を思い出さないこともない。同時進行で描かれる尊属殺を巡る美位子(石橋菜津美)の事件と、よねが言及する、彼女が心の内側に秘めているのだろう闇といい、美佐江や美位子は、本作の中で度々描かれてはいなくなった、深い闇の中にいる女性たちの姿を象徴する存在ではなかったか。最終週において、寅子がこれまで築いてきた様々なコミュニティの順風満帆な「今」が描かれていく一方で、寅子と美雪の対峙は、寅子がこれまで向き合えないままだった女性たちとの最後の対峙を意味していたように思う。