真珠湾攻撃直前に結婚…そして孫・彬子さまへの想い 三笠宮百合子さま逝去
百合子さまは、戦後、三笠宮さまを支えるとともに、尽力されたのは、子どもと母親の健康を守る運動です。『母子愛育会』の総裁を60年以上務められました。 その一方で、母親としては、子どもを亡くす悲しみを相次いで経験されています。命日に営まれる『墓所祭』には、車いす姿で参列する姿が見られました。 三男の高円宮さまは、スカッシュの練習中に倒れ、47歳の若さで急逝。“ひげの殿下”として知られた長男・寛仁さまは、がんで闘病の末、66歳で亡くなられました。急性硬膜下血腫で倒れ、長年、車いすで公務を続けた次男の桂宮さまも10年前に亡くなられています。 3人の息子、全員に先立たれた三笠宮ご夫妻。悲しみの中にあっても、百合子さまは、気丈に振る舞われていました。
高齢の百合子さまに代わり、宮家の行事を取り仕切ってきたのが、孫の彬子さまです。彬子さまは、今月初めイギリスを訪問していましたが、百合子さまの容体悪化が伝えられると、予定を繰り上げ、帰国していました。 三笠宮さまの伝記の刊行委員長を務め、百合子さまから聞き取りを行ったのも彬子さまです。 政治経済研究所・舟橋正真研究員 「インタビューを通じて、妃殿下がおっしゃっているのが『ついつい話すぎてしまっているかもしれない』と、『彬子ちゃんが聞いてくれるので、ついつい話しちゃうの』と。『やっぱり彬子ちゃんにはいろいろ知ってもらいたいの』ということをおっしゃっていたことを記憶している。我々がいても、忘れてさまざまなことを話される姿からは、2人のなかでの絆・信頼感はなくしては、成り立たないのかなと思う」 脳梗塞や誤嚥性肺炎で、3月から入院していた百合子さま。 宮内庁皇室医務主管 「今週は、お声掛けに目を開けて、うなずかれる時間が減少しておりました。また徐々に心臓や腎臓の機能が低下されていると考えられました。病院には、これまでできるだけの手を尽くしていただきましたが、ご高齢ということもあり、本日早朝から血圧が低下され、6時32分にご薨去されました」 百合子さまは、三笠宮さまが99歳の白寿を迎えたころ、歌会始でこう詠まれていました。 「思ひきや白寿の君と共にありてかくも静けき日々送るとは」 葬儀にあたる『斂葬の儀』は、今月26日、東京・文京区の豊島岡墓地で行われます。喪主は、孫の彬子さまです。
テレビ朝日