真珠湾攻撃直前に結婚…そして孫・彬子さまへの想い 三笠宮百合子さま逝去
三笠宮妃百合子さまが老衰のため、皇族最高齢の101歳で逝去されました。 8年前に100歳で亡くなった三笠宮さまと、75年、連れ添った百合子さま。天皇陛下の大叔母で、上皇さまの叔母にあたり、長年、皇族を見守り続けてこられました。 【画像】真珠湾攻撃直前に結婚…そして孫・彬子さまへの想い 三笠宮百合子さま逝去 ご遺体が安置された赤坂御用地には、上皇ご夫妻をはじめ、皇族が続々と弔問されました。 三笠宮さまは、昭和天皇の末の弟。その妻である百合子さまの人生は、戦前、戦中、戦後と激動した日本の近現代史と重なるものでもあります。 1923年、大正12年、旧華族のもとに生まれた百合子さま。1941年10月、18歳のときに三笠宮さまと結婚されました。 結婚祝いの晩餐会が開かれたのは、真珠湾攻撃の前日。昭和天皇から「やめたほうがよい」との意向が示されたものの、異変を察知されないよう、予定通り開催されました。 当時の日本が突き進み、多くの市民がその犠牲となった戦争。百合子さまは、戦火に直面した当事者でもありました。 戦争末期、B29による空襲で三笠宮邸は全焼。まだ1歳だった長女とご夫妻3人で、防空壕での生活となったのです。 戦争中、陸軍参謀として中国・南京に赴任し、日本軍の残虐行為を知っていたという三笠宮さま。ポツダム宣言の受諾にあたり、戦争継続を訴える青年将校と激論になっていたそうです。 おととし刊行された三笠宮さまの伝記。百合子さまは「今にもピストルが飛び交うかと思うような緊迫した」状況だったと記憶されています。 結婚70年の際に三笠宮さまは、当時を、こう振り返られました。 三笠宮さま 「三笠宮家は、新しく創設されたために、経済的な基盤がなかったばかりでなく、空襲で邸が全焼したため、経済的な労苦は、ほかの宮家と比べてはるかに大きかった。それを支えてくれたのも妻であった」 伝記の編纂にあたり、百合子さまから11回にわたって聞き取りを行った舟橋正真さん。 政治経済研究所・舟橋正真研究員 「テープレコーダーをかけているように話されるというか、本当に物を書かれていたのかなと思うような語りぶりだった。三笠宮さまの生涯だけではなく、そこに見えてくるような当時の時代背景、さらには皇室の歴史・文化を資料として、歴史として残すんだと。結果的に多くの人々に広まっていけばという信念。それが百合子さまには伝記を編纂する、伝記を作っていくのにあった」