誰も「プロ野球選手になるなんて思わなかった」 高校ではマネージャー→名門大入試は断念…湯浅京己(25歳)が“下剋上ドラフト”で阪神に入るまで
今年も大きな話題を呼んだドラフト会議。多くの選手がまばゆいスポットライトを浴びたが、現在のプロ野球界には高校・大学で実績十分の上位指名選手だけでなく“雑草魂”を体現したような選手ももちろんいる。阪神の主力として活躍する湯浅京己もその一人だ。現在は難病からの復帰を目指す名クローザーの「無名時代」とは? 《全2回の1回目/つづきを読む》 【写真で比較】「えっ、いまと全然違う…!」フォームも線の細さもまるで別人…?“マネージャー”だった聖光学院高時代の湯浅とドラ6入団→大活躍の阪神入団後の活躍やWBCでの力投の写真も見る(30枚超) 甲子園の9回のマウンドに湯浅が立つ。 阪神でゲームを締めるピッチャーの、150キロを超えるストレートが走り、落差のあるフォークボールが冴える。 湯浅京己はリフレッシュを兼ねて、友人と人気野球ゲームのパワプロ(実況パワフルプロ野球)でオンライン対戦に興じる。そこでは決まって自分を操作するそうだ。 聖光学院時代の盟友で、対戦相手のひとりである仁平勇汰は湯浅についてこう語る。 「いつもと変わらないですね。普通です、普通。話していても前向きなことしか言わないんで、今は心配することはないですね」
難病と闘う“名クローザー”のいま
現実世界の湯浅は今、病気と闘っている。 黄色靱帯骨化症。この病気は、背骨の近くにある黄色靱帯が骨のように固くなってしまうことで神経が圧迫され、下半身などに痛みやしびれを起こすとされている国指定の難病である。 プロ野球では、ソフトバンク時代の大隣憲司やDeNAの三嶋一輝、中日の福敬登らが発症している。彼らの経過を辿ると、手術から実戦登板までおよそ1年。今年の8月にメスを入れた湯浅も、復帰までにはおそらくそれだけの時間を費やすと予測されている。 2022年の最優秀中継ぎ投手や23年のワールド・ベースボール・クラシックで実績を築き、阪神での立場を確立しつつあった矢先に襲った病魔。アスリートのみならず、大抵の人間はここで沈む。あるいは絶望する。 そんななか、湯浅は顔を上げる。コーチとして聖光学院時代の湯浅を指導した岩永圭司は、「それが湯浅です」と言う。 「なんなら、それまでの不調の原因が病気だって分かっただけでも、本人からすれば安心できたんでしょうね。『手術でよかったです』と言ったときの声も明るかったですから」 湯浅をとことん前向きにさせる原点。それが高校時代である。仁平も岩永も、当時、聖光学院にいた誰もが「湯浅がプロ野球選手になるなんて思わなかった」と断言している。 それはそうだ。なにせ、聖光学院での明確な出発点はマネージャーだったのである。 高校入学直後に腰痛となった湯浅がその任に就いたのも、彼の前向きな人柄によるところが大きい。普段はBチームの監督である部長の横山博英が、役目を与えた根拠を明かす。 「マネージャーは怪我をしている生徒にやってもらうことが多いんだけど、なぜ湯浅にしたのかっていうと、人として嫌味がなかった。彼らの代っていうのはわがままな人間が多くて、そのなかで湯浅は野球ができないなかでも前向きだった。だから、『この男はチーム作りに絶対必要な男だ』ってことで、Bチームからマネージャーにしたって覚えてる」 横山の深謀に、湯浅は心を揺さぶられた。 プレーができずとも「俺もマネージャーとして遠征に行けるようになった!」と、嬉々として受け入れたのだという。最上級生となった2年生の秋も、公式戦では記録員としてベンチに入り、練習でも選手たちの補食を作るため米を研いだ。そして、試合や練習で思うようにいかず俯く選手たちには、「お前ら、野球ができるだけいいじゃん。頑張れや!」とアフターケアも自然にこなした。
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