マトリのS(スパイ)となった大物密売人の末路とは 実名インタビュー「命がけで協力したのに裏切られた」
双方の密会場所に選ばれたのは、閉店間際の喫茶店やファストフード店。喫茶店では、渡辺元受刑者が手に入れた薬物を渡したこともあった。 焼き肉屋に2回行き、酒を酌み交わしたこともある。領収証は取締官側が受け取り、「麻薬取締活動費」として決裁を上げたと、後にX取締官は証人尋問で明かしている。 X取締官は、渡辺元受刑者に会うと捜査日誌に「協力者渡辺吉康と接触」と記載した。初対面の14年7月から翌15年4月まで、31回の面会があった。 「協力者」とあるのは、近畿厚生局麻薬取締部ではSについて、情報の確度が高く薬物の密売には関わっていない「協力者」と、情報提供期間が浅く密売に関係する疑いがある「情報提供者」の2種類に分類されていたためだ。 それについて、公判で渡辺元受刑者の主任弁護人を務めた市川耕士弁護士(現在は高知弁護士会)はこう説明する。 「密売に関わっている人物との頻繁な接触を記録に残したらまずいから、渡辺元受刑者を『協力者』と定義したのではないでしょうか。そういう位置付けにしておかないと、彼を検挙しないといけなくなるわけですからね」 ▽「持ちつ持たれつ」
双方の“協力態勢”は半年ほど順調だったが、渡辺元受刑者が中東系の密売人グループと、大阪市内のホテルで取引に及んだ15年4月、恐れていた事態に直面する。 「おまえと関係があった密売人が次々に逮捕されているらしいな。これ、どういう風に説明できる?おまえ、Sなんじゃないか?これが事実だとしたら、おまえ……」。渡辺元受刑者は、ホテルの中層階の一室で、密売人グループのリーダーからそう詰め寄られた。グループの中に、ナイフを持っている人間の姿も見えた。 「そのときは思わず、『俺はロス・セタス(メキシコの麻薬組織)の人間だ。電話番号教えてやるから、電話かけてみろ』と答えたんです。それでひとまず疑いは晴れたんだけど、答え方次第では殺される可能性があったと思う」 実はこの日、麻薬取締部とは別に、大阪府警の捜査員たちも近くで張り込んでいた。ターゲットは渡辺元受刑者。府警は独自のルートから、渡辺元受刑者の密売網を特定し、15年1月ごろから内偵捜査を始めていたのだ。「どんな薬物も扱っていた」「注文すれば1キロでも持ってこられると言っていた」「大阪で一番の大物密売人」などと、府警は別事件の容疑者らから情報を得ていた。