日焼けのキティちゃんグッズが人気、ハワイ「ABCストア」の誕生の裏にある日系人の物語。
そんな両親のもと、息子・シドニーさん(ポールさんの父親)は幼い頃から家業の手伝いをして育ち、いずれ商店を継ぐものだと考えていた。だが、母親は、高校生になったシドニーさんに「食料品店よりも稼げるから、薬剤師になってドラッグストアを始めたらどうか」とアドバイスを送った。 母親の勧め通り、シドニーさんはカリフォルニアの大学の薬学部へ進学した。1940年前後、現地ではアジア人に対する差別的偏見があり、入学枠を得ることも住居を探すことも容易ではなかった時代だ。
そんな中、大学4年だった1941年12月8日(日本時間)、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、第2次世界大戦が勃発する。大統領令のもと、ほかの日系人とともにトゥーリーレイク強制収容所に送られることになったが、大学の学部長の判断で日系人学生の前倒しの卒業が認められ、収容所で卒業証書を受け取ることができたという。 当時交際していたミニーさんと収容所内で結婚したシドニーさんは、1943年に収容所を出ると、ミズーリ州にある病院で薬剤師として勤務。終戦後ハワイに戻り、1949年、カイムキ地区でABCストアの前身となるドラッグストアをオープンさせた。
■マイアミでハワイの観光ブームを予見 それからおよそ10年後の1960年代前半、転機が訪れる。チェーンストアの会議でアメリカのマイアミビーチを訪れたシドニーさん・ミニーさん夫妻は、多くの観光客がショッピングセンターではなく、ホテル近くの商店街で買い物を楽しんでいる姿を目の当たりにし、直感した。 「ハワイのワイキキも、いずれマイアミのような観光地になる」。2人はすぐに、ワイキキ周辺の物件取得に奔走した。1964年、コンビニエンスストアと土産品店が融合した1号店を開業した。店名は、電話帳の最初に掲載され、外国客でも覚えやすいシンプルな「ABCストア」と命名された。
事業の礎を築いたシドニーさんから1999年、2代目の経営者としてポールさんにバトンが引き継がれた。37歳だった。ポールさんは4人きょうだいの末っ子。父親と同様に、幼い頃から店で働く両親の手伝いをして育った。さまざまなバックグラウンドを持った従業員たちが生きるうえで大切なことを教えてくれる先生となり、教養豊かで経営感覚に優れた祖母からも商売に大切な、多くのことを教わった。 「祖母は礼儀作法を教え、欲張っちゃいけないと教えてくれた。お金はとても大切だけど、崇拝してはいけないと教えてくれた。それから、僕は彼女のために芝を刈ったり植物に水をやったりした。彼女が茶碗蒸しみたいな日本食を作ってくれた。それが僕のご褒美だった。これが本当に美味しいんだ」