兵役を逃れ国境を越えるウクライナ人男性たちの選択――被侵略国が直面する兵士不足の苦悩
3月19日朝、ウクライナと国境を接するルーマニア北部シゲトゥ・マルマツィエイは冷たい風が吹いていた。国境を分かつ幅数十メートルのティサ川の流れは速く、川面はところどころ波打っている。この日の最低気温はマイナス1度。手を触れると、雪解け水で濁った川は氷のような冷たさで、指先にピリッとした痛みを感じた。 ルーマニア国境警察のブラド・マルキシュ巡回班長(24)は言った。 「ウクライナからの密入国者が川を泳いで渡るのはほとんどが夜です。危険ですが、彼らはウクライナ当局に見つかって兵役に送られないよう、なるべく目につかないようにしていますから」 ルーマニア北部の366キロに及ぶウクライナとの国境は、ティサ川や標高2000メートル近いマラムレス山脈と重なる険しい地形だ。かつて密入国はほとんどなく、たばこの密輸入摘発が主な任務だったという。状況は侵攻後に一変し、総動員令で出国を禁じられた18歳から60歳までのウクライナ人男性の密入国が急増した。国境警察はヘリコプターや高台の暗視装置付き特殊車両から24時間態勢で監視している。
相次ぐ遭難者
ユリア・スタン報道官(42)によると、2年間で摘発した密入国者は9000人を超えた。2023年にいったん減ったものの、動員への不安が高まった24年に入って再び増え始めたという。英BBCは23年11月、ルーマニアやモルドバなど周辺国に逃れたウクライナ人男性が2万人近くに上る一方、逃れる途中でウクライナ当局に見つかって摘発された男性も2万1000人に達していると報じた。ウクライナ国境警備隊は4月29日、国営通信社ウクルインフォルムに対し、連日約120人の出国を阻んでいることを明らかにした。 ルーマニアに密入国して拘束されても、EU(欧州連合)がウクライナ避難民に初めて適用した「一時保護措置」で罪には問われず、1日か2日で釈放される。その後は避難民として滞在資格を得て働いたり、医療や教育を受けたり、ドイツやオランダに行って避難先の家族と再会もできる。国境を越えさえすれば自由と安全が手に入る。 だが、ときに命の代償を伴う。ルーマニア北部では侵攻以来、川で10人、山でも7人の遺体が見つかった。ウクライナ国境警備隊によると、隣国への密出国による死者は計約30人に達しているという。 スタン氏はスマホの画面を示した。この前日、標高1700メートルの雪山でウクライナ人男性(22)をヘリコプターで救助した際の様子が映っていた。 捜索に出た地元山岳救助隊のフェイスブックへの投稿によると、男性は午前2時ごろ国境を越え、その1時間後に緊急通報した。雪山用の装備はなく、両手両足とも軽度の凍傷になっており、スマホのバッテリーは2%しか残っていなかったという。 なぜ危険な雪山にまで足を踏み入れるのか。そう尋ねると、スタン氏は首をすくめた。 「ウクライナ側はなだらかで道路もあってアクセスしやすいのですが、ルーマニア側は標高が高くて険しく、雪が1.5メートルも積もっています。こちら側の状況を知らないのです」