兵役を逃れ国境を越えるウクライナ人男性たちの選択――被侵略国が直面する兵士不足の苦悩
身をひそめる兵役適齢期の男性たち
北東部ハルキウのベッドタウン、サルティフカを訪ねると、新たな破壊の傷痕があった。 集合住宅の8階から1階までの二列分の壁がほぼ崩れ、本棚やソファ、衣類など室内がむき出しになっている。1月23日のミサイルによる一斉攻撃で壊された226棟の一つだった。 「もう慣れてしまって、驚くこともなくなりました」 近くに住むデザイナー、イブゲニー・スニッツアさん(24)は表情を変えずに言った。徴兵年齢が近づいていることを聞くと、銃を持つのではなく、自分にできる形で貢献したいと訴えた。 「私には人を殺せないので兵士にはなれません。でも軍を支えることなら何でもします。自分にとって何が一番大切かは、良心に照らしてそれぞれの人が決めることだと思います」 ロシアとの国境まで約30キロにある北部スームィは数日おきに着弾があり、死傷者も出ていた。人通りがまばらな繁華街のカフェバーでバーテンダーをしているダニール・バブセンコさん(19)は、「兵士が来ると、通りから男性の姿だけが消えるんです」と言った。 「若い男性の多くは動員を恐れて家に閉じこもったり、田舎に移り住んだりしています」 戦争が長引けば、バブセンコさんもいずれ徴兵年齢を迎える。 「僕は大学生になるつもりです。専門的に学ぶためでもありますが、身の安全も理由です。その後は体育教師になります。教師は徴兵されないので、いま多くの人たちが考えているんですよ」 実際、徴兵が猶予される大学生になる中高年が激増していた。地元調査報道サイトNGL.mediaによると、21年に約3000人しかいなかった30歳以上の男性の入学生は、侵攻が始まった22年に約4万5000人、23年には約7万1000人に達し、侵攻前の23倍になっていた。この年、若者を合わせて約11万人が大学を兵役逃れに利用した可能性があるという。 侵攻直後の22年3月に私が初めてウクライナに来たとき、男性の多くは自ら徴兵事務所に出向き、軍歴がなくて相手にされなかったと憤っている人もいた。その一人だったキーウの設計士キリル・ダビドフさん(35)は「当時多くの人たちは戦場の現実を知らず、国際社会の支援も大きな励みになっていました」と振り返る。 だがその後の2年間でほとんどの人たちが出征した身内や知人の戦死を経験し、武器が足りないがゆえに戦死する最前線の惨状を知った。ダビドフさんは言った。 「ウクライナは一人一人が自分で判断する民主主義国家です。独裁国家のロシアなら動員は簡単ですが、米国でも日本でも、民主主義国ならどこでも同じ問題が起こるはずです」
ジャーナリスト 村山祐介