「もっとチームのことを考えて・・・」サンフレッチェ広島・松本泰志が向き合う自分自身の『意外な感情』
豊富な運動量を武器にピッチ上を躍動し、首位に立つサンフレッチェ広島をタフに支える松本泰志。スキッベ監督のもと攻守に存在感を増すMFに、入団時の秘話、現在のチームへの思いを聞いた。(全2回/2回目) 【写真】プロA契約締結合意が発表された中島洋太朗 ―松本選手がサンフレッチェに加入するきっかけになったのは、2016年に広島で行われたインターハイ (全国高校総体)でした。 「昌平高は準決勝で負けて、その日は泊まって翌日に埼玉に帰る予定が、ホテルに戻ったら高校の監督に『明日から練習参加だぞ』と言われて。そのときサンフレッチェだと言われたのかもしれないですが、記憶にないんです。その日はサンフレッチェの寮に泊まることになり、スカウトの村山哲也さん (現・AC長野パルセイロ強化ダイレクター)の車で移動しているときに 『どこに行くんですか』と聞いたのを覚えていて、『サンフレッチェだよ』と。その日まで、自分が興味を持たれているとは全く知らなかったです」 ―高校を卒業したら、どんな道に進もうと考えていたのですか。 「大学でサッカーを続けようとは思っていませんでした。父が公務員で消防士なので、同じ道に進もうかなと考えながら、公務員試験の勉強も少しやっていました」 ―そこから突然サンフレッチェの練習に参加して、手応えはありましたか。 「いつもどおりのプレーはできました。振り返ってみると、ここでチャンスをつかむぞ、みたいな気持ちはなくて、リラックスしていたから良いプレーができたんだと思います。最初は数日間練習して、1週間後くらいに再度練習に参加したときは、湘南とのサテライトリーグにも出場しました。それで加入が決まったみたいで、決まるまでに練習に参加したのは2回です」 ―インターハイ準決勝が8月1日、湘南戦が8月14日ですから、たった2週間で劇的に運命が変わったのですね。 「とんとん拍子でした。当時、9月26日に発表されるまで 『家族や親友以外には話さないで』と言われていましたけど、黙っているのが大変で(笑)。発表されたら、話していなかった親戚や友達が大騒ぎでした。昌平高から初めてのプロ入りでもあったので」 ―サンフレッチェでは3年目の2019年に開幕戦で先発するなど出場機会を増やしましたが、2020年はシーズン途中に当時J2の福岡に期限付き移籍しました。2021年には開幕からC大阪に期限付き移籍しますが出場機会が少なく、7月のサンフレッチェ復帰後もリーグ戦出場は10試合でした。 「苦しい時期でしたが、常に考えていたのは、ここで何ができるか、練習で何を見い出せるか。下を向いているのはもったいない、頑張るだけだと思っていました」 ―2022年にスキッベ監督が就任してからは出場機会が増えていますが、今季も含めて出場できなくなった時期もあります。 「スキッベ監督のサッカーをやっていく過程で、自分の良さだけでなく、足りない部分もはっきり表れてきました。だから出場できない時期がある一方で、それによって成長できているとも感じています」 ―足りない部分とは? 「一番は守備の強度で、一度かわされても二度、三度とついていくことも大切です。スキッベ監督が就任してからは、運動量の質を特に意識していて、試合中にギアを上げたり下げたりしながら、使うべきときに体力を使えていると実感しています」 ―8月で26歳になりました。先日の試合後、大橋祐紀選手や野津田岳人選手、川村拓夢選手が海外移籍で退団したことで 『より責任感が増している』と話していましたが、そういう意識も芽生えてきたのですね。 「サンフレッチェで長くプレーしているので、もっとチームのことを考えて、引っ張らなければいけないと思うようになりました。こういう感情になるのは自分でも意外でしたが、特に同じ中盤から二人が移籍したので、頑張らなければいけないと思っています」 ―今季から使用しているエディオンピースウイング広島の雰囲気はどうですか。 「素晴らしいですよ! 家族が見に来ていると顔がはっきり見えますし、もちろんサンフレッチェファミリーのみなさんの顔も見えていて、応援もよく聞こえます。ホーム側のゴールに向かって攻めるときは、特に気持ちが高ぶりますし、プレーしていて鳥肌が立ったことが何度もあります」
広島アスリートマガジン編集部