国の文化審議会、菊池海荘宅跡を登録記念物に答申…私財投じて民衆救済を評価
漢詩に通じた文人で、江戸幕府に海防策を提案するなどした菊池海荘(1799~1881年)の住宅跡(和歌山県湯浅町栖原)について、国の文化審議会は24日、「菊池海荘宅跡」として登録記念物(遺跡関係)にするよう文部科学相に答申した。
海荘は今の湯浅町で誕生。生家は砂糖・薬問屋を江戸で営む豪商だった。家業の傍ら、漢詩に親しんだ。
各地の文人に加え、思想家で兵学者でもあった佐久間象山や、「稲むらの火」で知られる浜口梧陵らと交流。天保年間(1830~44年)の飢饉では、窮民救済のため私財を投じて荒れ地の開墾などを進めた。政治にも関与するようになり、梧陵らとともに紀淡海峡の海防も献策した。
答申された住宅跡は約2000平方メートルで、菊池家の本宅の南東にある。当時の建物はすでに解体されたが、土塀や井戸、石組水路などは残っており、「『民衆からの明治維新』を担った海荘の事績を物語る遺跡」として評価された。登録されれば和歌山県内で7件目となる。