『アニエス V.によるジェーン B.』親愛なるジェーンへ、ジェーン・バーキンへの“返信”
“ミューズ”からの脱却
作曲家のジョン・バリーと別れ、イギリスからフランスに渡りセルジュ・ゲンズブールと出会ったジェーン・バーキンは、70年代に大きな“変身”を遂げる。ジェーン・バーキンは“時代の顔”となる。そしてセルジュ・ゲンズブールの元を離れ、映画監督ジャック・ドワイヨンによって新たな領域に入ったジェーン・バーキンは、俳優として80年代に第二の黄金期を迎える。この時期のジェーン・バーキンは、意識的にせよ無意識的にせよ、男性作家による“ミューズ”からの脱却の段階にあったともいえる。 セルジュ・ゲンズブール逝去の後、ジャック・ドワイヨンと別れた90年代以降のジェーン・バーキンは、ケイト・バリー、シャルロット・ゲンズブール、ルー・ドワイヨンの3人の娘たちの母親としてのイメージを強めていく。それに加え、より独立したアーティストとして活躍していく(優れた映画監督作品も残している)。ここには人生の指標になったともいえるアニエス・ヴァルダの生き方の影響が大きいのではないかと推測する。ジェーン・バーキンの日記には、セルジュ・ゲンズブールへの永遠の感謝と共に、変わっていく自分を受け入れられなかった彼に対する苦しみが生々しく綴られている。 『アニエス V.によるジェーン B.』でジェーン・バーキンが夜の街を歩くシーンには、ドアーズの「チェンジリング」が使用されている。「チェンジリング」とは妖精による「取り換え子」の意味だが、本作に照らし合わせるならば、変化することを恐れないジェーン・バーキン自身を表わしているといえる。ジェーン・バーキンは“ミューズ”であることから脱却し、自らを作品として残したアーティストなのだ。そして本作では自分自身を“展示”している。 シャルロット・ゲンズブールは、そんな母親に敬意を示し『ジェーンとシャルロット』(21)を監督する。「カメラは、ママを知る口実」。カメラによって母親を知ろうとするシャルロット・ゲンズブール。シャルロット・ゲンズブールの姿勢は、撮ることによって対象を“理解”しようとするアニエス・ヴァルダの姿勢と重なっている。『ジェーンとシャルロット』の原題『Jane par Charlotte』は、本作の原題『Jane B. par Agnès V.』への明確なオマージュだ。