なぜ森重航はスピードスケート男子500mで銅メダルを獲得し”お家芸復活”の狼煙を上げることができたのか?
1984年のサラエボ五輪の男子500m。大本命の黒岩彰が失速したなかで銀メダルを獲得した法政大3年の北沢欣浩が、日本スピードスケート史上で初めて表彰台に立った。 以来、2006年のトリノ五輪を除いて、男子500mは6度の冬季五輪で8個のメダルを上乗せしてきた。しかし、長島が銀メダルを、加藤が銅メダルを同時に獲得した2010年のバンクーバー五輪を境に世界の勢力図が一変した。 1998年の長野五輪で優勝した清水宏保のロケットスタートに象徴されるように、日本は先行逃げ切り型でメダルを量産してきた。しかし、レース序盤でアドバンテージを得る作戦は、欧米勢がスタートダッシュに注力し始めるとともに通じなくなった。 例えば中長距離王国のオランダは、2014年のソチ五輪の表彰台を独占した。ノルウェー選手が制し、車と高が続いた前回平昌五輪と連続して男子がメダルなしに終わったのに対して、日本女子は金3、銀2、銅1と過去最高の成績に沸いた。 吹き荒れる逆風に敢然と立ち向かったのが新濱だった。 身長183cm体重89kgと恵まれたサイズを生かした力強い滑りは、小柄な日本人選手がどうしても避けられなかったレース後半の失速とは無縁だった。課題だったカーブを回る技術も年々向上させたなかで、2019年3月には33秒83、33秒79と立て続けに日本記録を更新。日本人で初めて34秒の壁を破り、お家芸復活への旗手となった。 さらに新濱を追うように、世界トップクラスのスタートダッシュで得たスピードを第1コーナー、そしてバックストレートへとつなげられる村上も台頭。タイプの異なる2人のエース格がそろい、迎えた五輪イヤーでさらに勢力図が変わった。 新濱と同じ北海道別海町の出身で、スピードスケートを始めた別海スケート少年団白鳥の後輩でもある森重が一気に覚醒。今シーズンからナショナルチーム入りを果たし、破竹の勢いで北京五輪代表を射止めた新星は、初参戦したワールドカップのポイントランキングでも日本勢で最上位の2位に名を連ねて、北京に乗り込んでいた。 瞬発力や走力といった基礎体力に優れ、中学時代の夏場は陸上部とのかけ持ちで棒高跳びの全国大会にも出場した実績を持つ森重は、スカウトされて進学した、加藤の母校でもある山形中央高でさらに成長する。例えばオフ期間に取り組んだショートトラック練習で研ぎ澄まされた感覚は、いま現在につながるコーナーワークの源泉になっている。 さらに専修大では、黒岩彰の恩師でもある前嶋孝監督のもとで、課題だったスタート技術も改良された。狙った獲物は逃さない、と形容したくなるほどの急成長を遂げた今シーズンの滑りは、いつしか「鷹」と例えられるようになった。 ちなみに、ダイナミックな滑りが特徴の新濱は北海道出身になぞらえて「ヒグマ」に、スピードを武器にする村上は「チーター」に例えられる。全員が33秒台の自己ベストを持つ三者三様のスプリンターは、ともに初めて臨んだ五輪で明暗を分けた。