「8時半の男」宮田征典はどんな投手だったのか? セーブ制度導入前、リリーフとして絶大な人気を誇った
リリーフ=先発完投できないことだと如実に示されているが、この65年、逆に宮田はリリーフで光り輝く。ただし、同年から専任になったのではなく、2年目の63年は47試合に登板して先発は1試合。3年目の64年も35試合のうち先発は4先発だった。1年目からエースとなり、2年目は17勝、3年目は18勝を挙げた城之内はどう見ていたのか。 「宮田は体力がそんなにあるほうじゃなかったし、心臓がちょっと悪かった。それで完投は難しいってことで、川上さんとしてはリリーフで生かそうとしたんじゃないかな」 幼少時から宮田には心臓疾患の持病があり、発作的に脈拍が急変。試合中も鎮静剤を携帯する必要があり、病気のためにリリーフ専任になったのも同然だった。監督の川上自身、「心臓に欠陥があるので、宮田を完投させるのはマイナスだ」と公言している。 ただ川上にすれば、入団当初は野手として見ていた宮田が、投手として機能しているのはうれしい誤算だったろう。まして制球力があり、63年は110回で防御率1.88、64年は96回2/3で2.33と安定感十分。ゆえに戦力として認めた証か、あるいは期待の裏返しか、宮田本人にはたびたび厳しい言葉を浴びせていた。 (文中敬称略) 後編につづく>>
高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki