「世界初のSF作家」になった「偉大な天文学者」の正体
---------- ヨハネス・ケプラー(1571-1630)。ガリレイやデカルトの同時代人にして天文学者であった彼は、師ティコ・ブラーエの膨大かつ精緻な天文観測記録を用いて、いわゆる「ケプラーの3法則」――(1)楕円軌道の法則、(2)面積速度恒存の法則、(3)調和法則――を導き、のちのニュートンの万有引力の力学への道を切りひらきました。 そんな天文学上の革新的な仕事をなしたケプラーが、実は世界初のサイエンス・フィクション作家だったことを、みなさんはご存知でしょうか。 『宇宙の哲学』を上梓した伊藤邦武氏とともに、その風変わりな(? )探究の世界に足を踏み入れてみましょう。 ---------- 【写真】天文学者の「月旅行物語」
世界初の空想「科学」小説、その中身は?
『夢』というのがその作品ですが、もともとは『皇帝付数学者、故ヨハネス・ケプラーの夢、もしくは月の天文学にかんする遺作』(1634年)というタイトルでした(講談社学術文庫版〈渡辺正雄・榎本恵美子訳、1985年〉では『ケプラーの夢』とタイトリングされています)。 伊藤氏の『宇宙の哲学』から、そのあらすじを追ってみましょう。 「ケプラーはここである夜、夢のなかで一冊の本を読んだが、その本は一人の天文学者が月の世界へ旅行し、そこからの宇宙の観察を報告したものだった、という話をして、その本の紹介というかたちで、(実はケプラー自身の分身である)その天文学者の月世界旅行の経緯と、月から眺められた天体現象とを語ります。 その夢の本によれば、天文学者はティコ・ブラーエのもとで新しい天文学を修めたのち、故郷のアイスランドに帰って母親に再会する。母親は古い天文学に通暁していたのですが、息子の知識を知って喜び、自分のもっている魔法の力で精霊もしくは「ダイモーン」を呼び出して、その天文学者を月へ運ばせて、その知識の正確さを確かめる作業に力を貸すことにする。そしてその息子は、月の世界で詳しい天体観察を行って、新しい知識の正確さを十分に感得し、その報告を行うというわけです。」 それではこの作品の眼目は一体何だったのでしょう。 「いうまでもなく、新しい天文学の知識の強力さを、その天体現象の記述の精密さによって示そうとした点にあったのでしょう。そこには月面の気象や地形のようすや、月から見られた恒星、太陽、地球のようすが詳しく語られています。 しかし、この著作の主題は単に新奇な天体報告を示すということだけにあったわけではなくて、その科学方法論上の変革と、それにともなう世界観の転換ということを示唆するところにも、力点が置かれていたのであろうと思われます。」