もはや単なる「百歳老人」では目立てない! あの「ほとんど神」のご長寿老人を覚えていますか?
「老い本」(おいぼん)とは、老後への不安や欲望にこたえるべく書かれた本のこと。世界トップクラスの超高齢化社会である日本は、世界一の「老い本大国」でもあります。 「人生百年時代」と言われる昨今では、「百歳人」たちも珍しくなくなってきました。老い本においても、ただの「百歳」では著者として通用しなくなってきているようです。まずは昭和のなつかしいご長寿たちを思い出し、当時の百歳人の存在意義を振り返ります。 【エッセイスト・酒井順子さんが、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、あらゆる老い本を分析し、日本の高齢化社会や老いの精神史を鮮やかに解き明かしていく注目の新刊『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)。本記事は同書の第二章「老いをどう生きるか」の第一節「百歳の人間宣言」より一部抜粋・編集したものです。】
加速度的に増加する「百歳」
「百」という数字はかつて、10×10という数字としての意味の他に、「とてもたくさん」という意味を持っていた。小学一年生になろうとする子供に対して、 「友達百人できるかな」 と歌われたのは、本当に友達が百人できるかどうかを問うためではない。「あなたは小学校に入って、とてもたくさんの友達に恵まれるに違いない」という祝意が、「百」という数には込められていた。 また昭和時代、百万円と言えば、たいそうな大金というムードが漂った。百万円あれば、たいていのことができるような気がしたものである。 しかし今、「百」という数字の価値は下がった。SNSでどんどん人と繋がっていく世代の若者は、友達とされる人が百人いても「多い」とは思わないだろう。百万円もまた、使いだしたらあっという間になくなってしまう程度の金額となったのだ。 年月についても、同様である。かつて「百歳(ももとせ)」と言えば、とても長い年月のことを示す言葉だった。そこには、「あり得ないほどの」という意味も込められていただろう。百歳千歳の長寿を祈るということは、「まぁ人は、千歳はもちろんのこと、百歳までも生きられないけれど、それほどまで長生きしてほしいと思っています」という意味。百歳も千歳も、縁起の良い言葉として使用されていた。 しかし今「百歳」は、縁起が良い言葉と言うよりは、十分に生き得る現実的な数字として使用されるようになっている。百歳まで生きる人は身近にも見られるようになり、「百歳」は「あり得ないほどたくさん」という意を表せなくなってきたのだ。 私の祖母の一人は百一歳まで生きたのだが、百歳になった時には、都知事からお祝いの品をいただいた。何種類かの中からの選択制だったのであり、祖母が選んだのは、大島紬のちゃんちゃんこ。他に、「百歳までよく長生きしました」的な認定証も、石原慎太郎都知事(当時)の名前で添えられていた。 祖母によると、 「都知事から記念品をいただけるのは、今年が最後らしいのよ。よかったわ今年で」 とのこと。そこで私の脳裏に浮かんだのは、「予算削減のためなのだろうな」ということだった。 かつては本当に、寿(ことほ)ぐべき存在だったであろう、百歳のお年寄り。しかし、平均寿命も百歳人口もぐんぐん伸びていたその頃、都内で加速度的に増加していく百歳達に、都としてはいちいち記念品を贈っていられなくなったのではないか。 百歳以上人口の調査が始まった1963年(昭和38)当時、全国で百歳以上の人は153人しかいなかったのだそう。その後、百歳以上人口は増え続け、私の祖母が百歳になった2008年(平成20)には、全国で3万人以上の「百歳人」がいた。そして2022年(令和4)には9万人超えと、百歳人口は飛躍的に伸び続けている。