ティモシー・シャラメはいかにボブ・ディランを演じたのか? 『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』独占インタビュー
ディランに深く共感するまでの過程
現時点でティモシー・シャラメがボブ・ディランに似ている要素は何もない。8月も終わりに近づいた、ここニューヨークでは、彼にはティモシー・シャラメの面影さえない。『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』は10週間前に撮影が終了し、アメリカの反対側ではマンゴールド監督がクリスマス公開に間に合わせるためにポストプロダクションの作業を進めている。シャラメはすでに次の作品、ジョシュ・サフディ監督の『マーティ・シュプリーム(原題:Marty Supreme)』の撮影準備に入っている。この作品でシャラメは1950年代の卓球チャンピオンを演じる。役柄に合わせ、彼はふわっとしていた髪を切ったが、結果として「ティミーらしさ」が25パーセント程度に減ったようだ。無精ひげと顎ひげでさらに10パーセントが削ぎ落とされた。彼が数カ月後にワシントン・スクエア公園で行われたティモシー・シャラメそっくりさんコンテストに忍び込んだ時には、彼の髪は短く刈り上げられ、顎ひげはなくなり、口ひげはさらに伸びた状態で、コンテスト優勝者のほうがもっとティモシーらしかった。 私たちはディランがかつて住んでいたチェルシーホテルのロビーで落ち合った。映画の中ではこのホテルの縦長のネオンサインの前で、霧のたち込める夜、ディランの65年当時の正装を身にまとったシャラメが立っているというポスターにふさわしいショットがある。白昼に彼が、カーゴパンツと白い長袖Tシャツを着て、首に洒落た金のチェーンを巻き、茶色のヤンキースのキャップを深く被り、大学生のような格好でその場を歩くとアイコニックさは薄れるように感じる。彼のとてつもない人気ぶりを彷彿とさせるものは、ナイキ・フィールド・ジェネラル ’82の復刻版だけである。昨年彼はこのシューズのプレリリース版をNBAの試合に履いて現れ、たった一人でこのシューズの人気を上昇させた。 私たちは23番街を西に向かい、8番街を渡る。シャラメはマンハッタン子らしく、バイクをさりげなく避けていく。曇り空の平日の午後、通りは混雑しているが、なぜか誰も彼のほうを振り向かない。「ここはまるで自分の家のようで、気分が良い」と彼は言う。彼は後でサフディと会う予定だ(サフディは今日のインタビューがボブ・ディランに関するもので、彼の極秘卓球プロジェクトに関するものではないと知ってほっとしていた)。そして姉の第一子の出産のため、すぐにフランスに飛ばなければならない。それでも、ポケットに手を突っ込んで闊歩するシャラメは、明らかにリラックスしている。 長い年月を経て映画が完成されたことは助けになったが、彼はそのことで一度も重荷を感じることはなかったと断言している。「これが僕が人生で求めているプレッシャーで、こうゆうプレッシャーが大好きなんだ」と彼は言う。 映画の冒頭近くで、ディランは陰気な病室でガスリーと出会うが、そこにはノートン演じるシーガーがすでに訪れているという、映画では事実からの逸脱がある。ボブはおそらく人生で初めて、反抗とためらいが混じった微妙な感情を抱きながら、「ディラン」という名前で自己紹介をした。それから彼は、初期の名曲の一つである『ウディに捧げる歌(Song to Woody)』を最初から最後まで演奏する。いろいろな意味で成否を決めるシーンであり、偶然にもシャラメにとって最初の重要なシーンの1つでもあった。映画の中でガスリー(スクート・マクネイリー)とシーガーがディランのパフォーマンスを品定めしているとき、観客もシャラメを同じように値踏みしている。完成した映画では、ギターのピッキング、シャラメの青白い額の汗、精巧な付け鼻に至るまで、すべてがうまく調和している。「彼の演技は、桁外れに素晴らしい」とノートンは言う。 「その夜、家に帰って泣いたよ」とシャラメは話す。「『ウディに捧げる歌』は僕がずっと一緒に生きてきた曲というだけでも、僕たちがそれに命を吹き込んだと感じたからというだけでもなく、僕自身が様々な要素から解放されたと感じたから。僕が感じている誇りにうぬぼれはないけど、「ワオ、これこそが『演技』なんだ」と感じた。僕たちは、起こった出来事に命を吹き込み、謙虚に、そして勇敢にこの撮影をすることで、今まで知らなかった観客に届けたいと思っている。それは名誉ある任務だと思う」。 シャラメが初めて『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(当初は『Going Electric』というタイトルで、イライジャ・ウォルド著『ボブ・ディランと60年代音楽革命』(原題『Dylan Goes Electric! Newport, Seeger, Dylan, and the Night That Split the Sixties』)という2015年の書籍に基づいていた)に出会ったのは、マンゴールドが参加する前に、メールで送られてきた今後のプロジェクトリストの中にあった。その時点では、シャラメはディランを音楽ファンが敬愛する遠い存在、幼なじみの父親が愛したアーティストとして、かなり漠然としたイメージしか持っていなかった。最初から、シャラメは単にディランの見た目が気に入っていた。「Googleで調べたら、秘めた何かがあると思ったんだ、分かる?」 彼はすぐにディランが、最初は自分をロックアーティストだと考え、結果としてフォークミュージックのスーパースターになり、そしてロックスターの座に返り咲いたことを知った。シャラメはすぐにそのシナリオを自分の経験に当てはめた。少々非歴史的な見方になるが、ディランはガスリー、レッドベリー、オデッタといった人物を尊敬しながらも、フォーク界を一種の裏口として利用した。「彼はすぐにエルヴィスやバディ・ホリーになれないならと、ウディ・ガスリーのような、もう少し実現可能なものを見つけたんだ。そしてそれがとても上手く行った。そこが僕の心に響いたんだ」とシャラメは言う。 シャラメは、大成功をおさめたインディーズ映画『君の名前で僕を呼んで』の中で、性に目覚めた、禁断の恋に落ちるティーンエイジャー役を演じ、一躍スターになった。『レディ・バード』では処女を奪う嫌な奴、『ビューティフル・ボーイ』では苦悩する若い薬物中毒者、『若草物語』では恋に落ちた求婚者を演じた。しかし子供の頃の彼は『ダークナイト』を繰り返し観ていて、静かなドラマは決して彼の夢ではなかった。彼は『メイズ・ランナー』や『ダイバージェント』などのアクション映画のオーディションを受けたが、毎回不合格だった。「いつも同じ回答しか受けなかった」と彼は本当に辛そうに言う。「僕の『体形が合っていないんだよね』と。ある時エージェントから電話がかかってきて『同じ回答はもううんざりだ。君が体重を増やさないから、大作に応募するのはやめよう』と言われたこともあった。僕だって体重を増やそうとしたんだけど、できなかったんだ! 基本的に無理だった。代謝か何か知らないけど、とにかくダメだったんだよ」。 彼は、面白いインディーズ映画の役を選ぶ、並外れた才能を持った優秀な若手俳優だったが、同時に、手に入るものは何でも手に入れようとしていた。「僕は開かないドアをノックしていたんだ。だから、もっと控えめなドアを、と思って進んだ結果、僕にとって爆発的なものになったんだ」と彼は言う。シャラメはその後『DUNE/デューン 砂の惑星』シリーズに出演し、西暦10191年にワンドワームに乗る宇宙の救世主として登場したことを、恥ずかしげもなく自らの「Going Electric(象徴的な転換の瞬間)」だと捉えている。彼は初期の役柄について「とても個人的で傷つきやすいものだった。その仕事で感じた「親密さ」をボブの初期のフォークソングの音楽に感じる」と語る。彼は一呼吸おいて、「そしてそのうち、別の楽器を使いたくなるんだ」と比喩する。 彼はまた、ディランの物語や芸術は過去の心の傷などには影響されてないという説に同意している。(ジョニー・)キャッシュや、デューイ・コックス(『ウォーク・ザ・ライン』のパロディ)と違って、彼は過去に縛られておらず、過去を振り返りもしない。ディランは演奏する前に自分の生い立ち(人生)について一度も考える必要はなかった。シャラメも同様だ。「自分の才能は自分のものだ、と思う感情に共感した」と彼は言う。「型破りな生い立ちだということもできるし、僕がマンハッタンプラザというアートな住宅で一風変わった育ち方をしたことを、否定的にも肯定的にも表現できる、単純にニュアンスの違いなだけなんだ」。彼が言いたいのは、それは問題ではないということだ。「若い頃のこと(生い立ち)は関係ないんだ。あなたの才能はあなたの才能であって、あなたが言わなければならないことは、あなた自身で言わなければならない。ビッグバンは必要ないんだ」。