ティモシー・シャラメはいかにボブ・ディランを演じたのか? 『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』独占インタビュー
「ディランの物語を描く」課題と挑戦
白髪の82歳の老人、ビル・パジェルが家から姿を現わしシャラメを迎える。引退した薬剤師であり、おそらく世界随一のボブ・ディラン・コレクターであるパジェルは、2019年にこの場所を購入した。ディランは6歳から18歳までの間、家族とともにここに住んでおり、パジェルはこの家をかつての住人に敬意を表し、本格的な博物館へと静かに変えるべく、修復を行い、彼のコレクション品で埋め尽くしている。シャラメはこの家で1時間過ごし、若き日のロバート・ジマーマン本人が雪景色を眺め、自分の将来について思いを巡らせた寝室に腰を下ろした。彼はディランが実際に所有していた45回転レコード(リトル・リチャード、ジョニー・キャッシュ、ジーン・ヴィンセント、バディ・ホリー)に目を通していく。 そこを出たシャラメは地元の高校で予定されている見学ツアーへと足を運んだ。そこでは学生の演者たちが、ディランが実際に10代の頃、ロックンロール・バンドと演奏していたステージ上でリハーサルをしているのを目撃する。ディランが鍵盤を叩きつけたスタインウェイのピアノまでもがまだそこにあった。演劇部の学生たちはリハーサルの見物人が誰か気づくとパニックになり、シャラメはしばらく彼らの質問に答えていく。 街を出る前に、彼はもう一度あの家に戻る。今度はサインやセルフィーを求め車から飛び出してきた3人の若い女性が後に続く。パジェルは彼を家の中に押し込み、シャラメは地下室に隠された重要な品を堪能するーー「我が祖国(This Land Is Your Land)」を作曲した典型的なプロテスト・シンガー、ウディ・ガスリーのアルバムの裏に、1960年頃、ディランが描いた絵だ。若き日のディランは、ガスリーのイメージで自分を塗り替えるべく、「Bound for Glory(栄光へと向かう)」の標識が掲げられた、ニューヨークへと続く道の上に、自分がいる様子をスケッチした。道の終わりにはガスリーの姿が描かれている。 ディランは、グリニッチヴィレッジのフォーク業界における、彼の実際の未来を予見していた。また、60年以上経った後、世代を超えハートを掴むことになるハリウッドの伝記映画のプロットも表していた。1961年1月、少々の脚色とともに、鮮やかに再現された『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の劇中で、ディランはニュージャージー州の病院で、ハンティントン病の治療を受けていたガスリーを見つけだす。新進気鋭の新人はギターを取り出し、彼のヒーローのために歌った。 これは映画が描く、あり得ないような4年間の旅の始まりであった。その中でディランはガスリーの芸術的後継者となり、フェンダー・ストラトキャスターをひっさげ完全に別の何かに変化する前に、その想像力豊かな歌詞の生々しい予言とカントリー風の掠れ声で一時代を築いた。その過程で彼は、ガスリーの友人でありフォークシンガー仲間のピート・シーガー(映画では役者が誰かわからないほど変貌したエドワード・ノートンが演じている)の指導を受け、若いアーティストで人権活動家のスージー・ロトロと恋に落ち(映画ではシルヴィ・ルッソに改名、エル・ファニングが演じている)、当初名声が彼自身の人気を凌駕していたシンガー仲間、ジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)と音楽的かつロマンチックなカップルになる。 他の多くの60年代ヒーローたちとは異なり、ディランは頑固に生き続け、数十年の年月が重なる中、次から次へとフェーズごとに脱皮していき、いまだ止まる様子を見せていない。だが、彼のこの持続性は初めの一撃でどれだけ世界を変えたかをぼかしかねないーーディランがエレクトリックになった瞬間は、アコースティックなプロテスト・ソングから轟くような抽象的なロックへと、少しずつ、数年にわたったスタイルと主題の変化であった。スーパースターが型破りなボーカリストになり得ること、ポップが深い個人的・政治的表現の手段になり得ること、歌詞が詩になり得ること、アーティストが時代の狭間で急激に変化し得ること。これらのように、ジャンルを超えたポピュラー音楽について私たちが当然と思っている多くの前提は、1961年から1965年までのディランの作品にルーツがある。彼の影響はロックにとどまらなかったーー スティーヴィー・ワンダーからニーナ・シモンまで様々なアーティストが彼の曲をカバーし、最近ジョージ・クリントンが筆者に思い出させたように、モータウンのサウンドと歌詞さえもが 「ライク・ア・ローリング・ストーン」の後に変化した。 ディランは、『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』のような直線的な物語を描くにはあまりにミステリアスで、あまりに異質な存在であり、2007年の『アイム・ノット・ゼア』のような、万華鏡のように複数の俳優が彼の役柄を演じ分けるような映画でなければ、彼をとらえることはできないと言われてきた。この新作の監督であり共同脚本家でもあるジェームズ・マンゴールドは、2005年にオスカーを受賞した伝記映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』で、ジョニー・キャッシュの人生物語にハリウッドの最高の輝きをすでに加えている。(最近では、スティーヴン・スピルバーグ本人に選ばれた後継者として、昨年の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を監督した)。マンゴールドは、ディランが世界を震撼させるほどの天才であるゆえに、一人の人間として描くことは不可能だという発想を信じず、無知な批評家の口調で嘲笑するーー「ボブ・ディランについてどう『書く』というんだ? 彼の多様な要素を取り入れきれていない! ボブ・ディランについては『血を流すようであるべきだ!」 とはいえ、映画製作者らが直面した課題を誇張することは難しい。「人々はボブ・ディランと彼の音楽的遺産を固く守っている」とシャラメは言う。「なぜならそれらはある意味純粋なもので、伝記映画で間違って扱われるのを彼らは観たくないと考える」。さらにシャラメは、彼の控えめな言葉を借りれば、「一筋縄ではいかない人物」、本当の自分を隠すことにある種の喜びを感じてきたアーティストを演じている、ということは言うまでもない。その上、彼はその演技の多くを音楽的に表現しなければならなかった。「彼は決して楽な道を選びたがらなかった」と、シャラメのギターの師であり、サイモン&ガーファンクルのツアーに何年も参加した一流セッション・ミュージシャンのラリー・ソルツマンは言う。「私が彼に、『OK、これが本当の方法なのだけど、ちょっとしたショートカットがあるんだ』と提示すると、それに対する彼の答えはいつも『近道は教えないでくれ』だった」。 シャラメは最終的にマンゴールド監督にディランの手描きの地図の写真を送り、そこにある純粋なヒーローへの崇拝が、ボブが結局それほどとらえどころのない人物ではないのかもしれない、という監督の指摘を強調させる。「本当のところただの憧れと愛の現れなんだ」。マンゴールド監督は、ディランの旅について思いを巡らせる。「この若者が現れた。彼はインスピレーションを受ける。つまり、そこまで複雑なことではないんだ」。 その地図の中で、そしてミネソタにいる間、シャラメはディランの中に自分も見覚えのある何かを見出し始める。彼が、自身もかつて持っていた、と認めることを恐れない感情であるーー「君は運命と繋がっている。でもその繋がりは脆いものだ」。