岸田総理がウクライナに持ち込んだ「必勝しゃもじ」は呪物と見られた? 宗教への無知が招く無自覚の罪
宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか #1
宗教的な儀式がふだんの生活に根付いていないと考えている私たち日本人。だが古代ローマ史研究の大家、本村凌二氏と国際事情に精通した神学者・佐藤優氏によると無自覚のうちに宗教的儀式をおこなっているという。岸田文雄総理がウクライナに持ち込んだ「必勝しゃもじ」は、一神教の国においては呪物の類だとみなされる。 【写真】除夜の鐘を鳴らす
書籍『宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか』より一部抜粋し、日本人が無自覚でおこなっている宗教的儀式を紹介する。
「紅白歌合戦」と初詣は宗教的な創造儀礼
佐藤 たしかに、貧しい時代の人々から見れば、豊かな社会は堕落したように見えるでしょうね。ただ、いまの日本は命がけの戦争こそしてはいないものの、首都圏では小学校4年生から中学受験という戦いに投げ込まれている子どもたちもいるわけです。 冷静に見れば、あれはほとんど教育に名を借りた虐待ですからね。教師や部活指導者による体罰が減ったと思いきや、そうやって別の形で暴力が振るわれる。社会における暴力の総量は常に一定で、戦争という形で集中的に現れることもあれば、ほかのところで分散的に現れることもあるんだろうと思うんですよ。 本村 たしかに、暴力のエネルギー自体は保存されているのかもしれませんね。そのエネルギーがどこに向けられるのかを決める上で、宗教は何らかの役割を果たしているような気もします。 日本人は一般的に無宗教だとか信仰心が薄いとか言われますが、どうなんでしょうね。そうはいっても、正月には多くの人が初詣に行くわけですし。 佐藤 私は、大晦日のNHK「紅白歌合戦」と初詣は日本人にとってワンセットの宗教的セレモニーだと思っているんですよ。まず「紅白歌合戦」というお祭りによって、人為的にカオスをつくり出す。それが23時45分に終わると「ゆく年くる年」になり、一転して落ち着いた雪景色の中で除夜の鐘がゴーンと鳴り、やがてアナウンサーが静かなトーンで新年の訪れを告げるわけです。新しい秩序の始まりですよね。 いったんカオスを迎えなければ、新しい秩序は生まれません。あれは、「カオスからコスモスへ」という創造儀礼なんです。だから、「紅白歌合戦」を見てから初詣に行くのは、きわめて正しい日本人のあり方なんですよ。 そうじゃなければ、あんなにデキの悪い歌番組が高視聴率を取れるはずがない(笑)。 本村 いまはもう、世代的にわかる歌がないから見なくなりましたねぇ。 佐藤 視聴率が低下傾向で、打ち切り論もときどき聞こえてきますが、もし「紅白歌合戦」がなくなったら、日本人が新鮮な気持ちで正月を迎える感覚が薄れるでしょうね。初詣客も減るかもしれません。 本村 初詣といえば、ある年に出産を控えた私の知人が、正月に3つか4つの神社を回ったそうなんですよ。でも、ちょっと身体の弱い子が産まれた。そうしたら、その人は「あちこちに初詣したからバチが当たったのかもしれない」と言ったんです。 佐藤 神様がヤキモチを焼いたというわけですね。 本村 そうそう。こういう人間の心理が一神教の発生につながったんじゃないか、などと思ってしまいましたけれどね。 佐藤 そういう素朴な信仰心は連綿とありますよね。私が鈴木宗男事件で捕まったとき、ロシア思想史研究家の下里俊行氏(上越教育大学教授)に「佐藤、難しく考えることないよ。こんなことになったのは、厄年だからだよ」と真顔で言われましたからね(笑)。「キリスト教徒だから厄払いとかしてないでしょ?」と。 本村 半ば冗談ではあるんでしょうけれど、まったく信仰心がなかったら、そんなこと思いつきもしないですよね。立派な知識人でもそうなんですから、やはり日本人も信仰と無縁ではいられないということでしょう。
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