福沢諭吉にだけ見えていた景色…知らないうちに日本人が立たされていた「岐路」
「合理的な思考」とは
なぜ「純精善良」な見解・主張が自由と相反するのであろうか。あるいは、なぜ多くの見解・主張が対立し、相争うところに自由の気風が生ずるのであろうか。その問いに福沢は直接答えてはいないが、次のように考えることができるであろう。さまざまな見解や主張を許容し、それぞれの根拠を相互に検討し、最善のものを選択するところに議論の地盤が形作られる。ただ一つの説の支配は、逆に、そのような議論の場の成立を妨げる。あるいは、議論の技術の成熟を妨げる。いま述べたような議論の地盤が成立しているところにこそ、自由に議論を戦わし、真理を目ざす気風が生まれると考えられる。 福沢が「外の文明」と「内の文明」とを区別し、「内の文明」の重要性を強調したのは、ただ単に「外の文明」を無反省に取り入れようとする時代の風潮を批判するためだけにではなく、それと同時に──そしてより根本的には──、いわゆる「東洋道徳西洋芸術」といった考え方を批判するためでもあったと言うことができる。世界観や道徳観は伝統的なものをそのままとり、その上に西洋の技術文明を接ぎ木するという発想を批判することが福沢の文明論の核心をなしていたと言ってもよい。彼の近代化論は、明らかに学問の変革という問題に結びついていた。 そのことを端的に示していると思われるのは『福翁自伝』(一八九九年)の次の文である。「東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形に於て数理学と、無形に於て独立心と、此二点である。……人間万事、数理の外に逸することは叶わず、独立の外に依る所なしと云う可き此大切なる一義を、我日本国に於ては軽く視て居る。……全く漢学教育の罪である」。 ここで福沢は東洋に欠け、その文明化に必須なものとして、「数理学」と「独立心」の二つを挙げている。「独立心」については、先に見た、習慣的となったものの見方や考え方にとらわれずに自由に思索し、行動する精神を指すと考えてよいであろう。「数理学」はさしあたっては数学と物理学を指すが、より広く合理的な思考を支える基礎的学問を指すと考えてよいであろう。そのような学問の受容が文明化の必須な前提であると福沢が考えていたことを、先の文章はよく示している。 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
藤田 正勝