赤染衛門の父といわれる平兼盛の百人一首「しのぶれど~」の意味や背景とは?|平兼盛の有名な和歌を解説【百人一首入門】
平兼盛が詠んだ有名な和歌は?
平兼盛には、この歌以外にも多くの歌が残されています。この時代の流行であったのか、歌合での歌が多く見られます。以下に平兼盛が読んだ歌を二首紹介します。 1:わが宿の 梅のたち枝や 見えつらん 思ひの外に 君か来ませる 「私の家の梅の高く伸びた枝が見えたからだろうか、思いがけずあなたがいらっしゃったのは」 この歌は、『拾遺和歌集』巻第一春に収められていて、「冷泉院御屏風の絵に梅の花ある家に客人(まらうど)来たところ」と詞書(ことばがき/和歌の前書きのこと)があります。 兼盛が、絵の中の女の気持ちになって詠んだともいわれているようです。予期せず訪れてくれた客への驚きと喜び。梅の木が訪問のきっかけを作ったかのように詠まれています。 2:み山いてて 夜はにやきつる 郭公(ほととぎす) 暁(あかつき)かけて こゑのきこゆる 「住処の山を飛び出して夜中にやって来たほととぎす、夜明け頃に、その鳴き声が聞こえる」 詞書に「天暦(てんりゃく)御時歌合」とあります。歌合は歌人を左右にわけて、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊びのことです。 この歌は、自然の中に身を置き、ほととぎすの鳴き声を聞いている情景を描写しながら、夜から朝へと移り変わる時間の流れを繊細に表現しています。夜から明け方にかけての時間は、静けさと変化の瞬間が強調される時間であり、その中でほととぎすの声が響く様子は、時間の流れを象徴しています。
平兼盛、ゆかりの地
続いて、平兼盛にゆかりのある場所を見ていきましょう。 ◆須山浅間神社(すやませんげんじんじゃ) 静岡県裾野市須山に位置し、古くから山岳信仰として「富士山」を御神体として仰ぎ奉っています。社伝によると、人皇12代景行天皇の御代、日本武尊が東夷征伐の時、奇瑞により創祀されたとされ、その後欽明天皇の御代に蘇我稲目(そがのいなめ)が再興し、天元4年(981)には平兼盛が修理奉幣(ほうへい)しました。 境内には500有余年の老杉があり、神社庁の御神木に指定され、裾野市の文化財指定にもなっています。