安倍政権の「やまとごころ」 森友加計問題に見る日本政治の文化的矛盾
なぜ官僚がすり寄るのか
森友問題で話題になった「忖度」にしても、加計問題で浮かび上がった「メモ・メール」にしても、多くの官僚が官邸にすり寄っている、あるいはすり寄らされていることが問題の根幹である。 大統領型の官邸政治を目指す安倍の手法は、これまでのような所管の大臣と官僚の相談をとおり越し、直接権力を行使する。内閣人事局によって省庁幹部の人事を掌握するのみならず、公共機関のトップ人事にも強く関与する。日銀頭取、前のNHK会長などが、かなり強引な人事であったことも記憶に新しい。 かつての官僚には、新任の大臣に専門的な知識のないことを小馬鹿にして、自分たちこそが日本行政の持続性を維持するという矜持があった。しかしバブル経済の崩壊以来、特に小泉内閣以後、日本官僚のプライドは打ち砕かれたように見える。未曾有の財政赤字と、年金記録の消失がその象徴ではないか。民主党政権の実現は、これによる国民の官僚体制不信が根深い原因であったと筆者は考える。 明確な国家目標と価値基準を失った霞が関は今、官邸にすり寄るのか、反発するのか、文科省前事務次官の真剣を抜いたような発言は、官僚たちがそのギリギリの岐路に立たされていることを示している。 安倍政権の矛盾の一つは、大統領型の官邸と既存の官僚機構との軋轢である。
なぜ支持率が落ちないのか
それでも支持率は落ちない。 国民は、アベノミクスには疑問なしとしなくとも、リーマンショック以後低迷していた日本経済が、何となく元気になってきたような感覚をもっている。しかしそれよりも外交的成果の方が顕著であろう。この「THE PAGE」でも筆者は、安倍首相は傲慢にも卑屈にも見えないとして、外交に発揮されている行動力を評価したことがある。 安保関連法とテロ対策法は、賛否両論に分かれる。 戦争の足音が近づくことには反対だが、他国の侵略から防衛するための自衛隊活動を根拠づけることは必要ではないか。準備だけで罪に問われるテロ対策法(共謀罪ともいわれる)によって監視社会が到来することには反対だが、世界に多発するテロへの対策は必要ではないか。国民はそのあいだで揺れているのだ。阪神淡路大震災、東日本大震災における、村山内閣、菅内閣の対応ぶりは、危機に臨んで、より強力なリーダーシップが必要であることを感じさせた。 働き方改革は面白い政策だ。首相は、財界の指導者たちに労働賃金を上げることを注文し、残業を減らし、在宅、遠隔、時差、休暇など、勤務形態を柔軟にしろという。これは本来、野党がやるべきことではなかったか。 さて憲法改正であるが、安倍首相は、従来の自民党案にこだわらず、きわめて柔軟な案を提示した。9条の1、2項を変えずに、自衛隊の存在だけを明記するというのは、かなり可能性が高い。 いずれにしろこの政権が、思い切った政策を次々と打ち出していることは事実である。国民はその点を、何でも反対するのが仕事と考えている野党やマスコミよりマシだととらえているのだろう。そう考えてみれば、歴史に残る政権となる可能性はあるのだが、このところ、思わぬところからさまざまな欠点が露呈している。 安倍政権の矛盾の一つは、支持率の高さであり、それによる慢心である。