「ベンチで野宿し、虫を食べて飢えをしのぐ」極貧時代を経験した元人気子役「我が子の小さな手を見て、愚かな選択を踏みとどまった」
「一時はセミやアリを見つけては食べていました。セミはたんぱく質が豊富で…」と極貧時代の体験を話してくれた、元タレントの中武佳奈子さん。人はお金がなくなるとどうなるか。中武さんの言葉には、多くの学びにあふれていました。(全5回中の3回目) 【写真】「妖艶さがハンパない!」テレビで活躍した当時の中武佳奈子さん(全7枚)
■定職につけず、生活保護の申請も親が邪魔をしてきて… ── 芸能界を引退後、生活に困窮し、一時は路上生活も経験されたと知り、衝撃を受けました。いったいなにがあったのでしょうか。
中武さん:生活が困窮したのは、離婚をしてからですね。息子はいま12歳ですが、年少のころに離婚をしました。夫婦関係がこじれた結果、パニック障害を患い、心療内科に通いました。だんだん耐えきれなくなって「離婚してください」と懇願し、慰謝料はもらわず、息子を連れて家を出たんです。 売れなくなって逃げるように芸能界をやめた情けない過去は、誰にも言いたくなかったので、芸能活動をしていたことはずっと伏せていました。ただ、書けるような職歴がなく、履歴書は真っ白。そのため、定職につけなかったんです。とはいえ、子どもを食べさせなくてはいけませんから、寝る間も惜しんでバイトをかけ持ちしていました。
── そうだったのですね。たとえば、どんなバイトを? 中武さん:遺品整理やコンビニ店員、警備員に夜の花市場、レンタカーの洗車、呉服屋の売り子…できるものは片っぱしからやりました。夜のお店の面接も受けたことがあるのですが、薬の副作用でだいぶ太っていたせいか、雇ってもらえなかったんです。バイトをかけ持ちすれば、お金がどんどん稼げると思っていましたが、それぞれの収入はたいしたことないし、体はひとつしかないから時間も限られてくる。生活は苦しかったですね。
── 行政に頼るということは、できなかったのでしょうか。 中武さん:生活保護の申請に行ったことがあるんですが、役所から親に連絡がいき、申請が通りませんでした。私自身は、本当に困ったときに一時的に生活保護に頼ることは悪いことだとは思いません。でも、うちの親はそういうことに偏見があるタイプなので「ひとさまの税金でご飯を食べるなんて恥さらし!」と罵倒されて。もちろん支援などいっさいしてもらえません。そこから親との関係は、さらに悪化しました。