「ベンチで野宿し、虫を食べて飢えをしのぐ」極貧時代を経験した元人気子役「我が子の小さな手を見て、愚かな選択を踏みとどまった」
ただ、いよいよ電気が止まるとなったとき「電気代の3600円だけ貸してくれないか」と電話をしたことがあるんです。でも「離婚したので自業自得」と拒否され、その後は電話にも出てくれなくなりました。
■セミやアリを食べてしのぐことも「抵抗はありませんでした」 ── 八方塞がりになってしまったのですね。 中武さん:家賃や光熱費を滞納していたので、夜はランプやろうそくでしのいだり、公園に水を汲みに行ったり。さいわいなことに、息子は「キャンプみたい!」と無邪気にはしゃいでいました。その姿に救われると同時に、申し訳なさで胸が痛みました。家を借りられない時期は、日銭を貯めてウィークリーマンションなどを転々としていましたね。大家さんに事情を話し「この日まではなんとか居させてください」と、1日1000円だけ払っていたことも。生活がより厳しくなったときには、元夫に子どもを預けて、私は公園のベンチで寝て、野宿をしていました。
── そうした事情から路上生活になったのですね。公園のベンチで寝るのは、想像しただけでも過酷そうです。 中武さん:夏場は、とくにキツかったです。知らない人たちが楽しんでやっているロケット花火も飛んできますし。おばさんがベンチで寝ているのが珍しいのか、写真もたくさん撮られました。 ── 怖くはなかったですか?とても熟睡なんてできる状況ではないですよね? 中武さん:連日バイトに明け暮れていて疲労困憊。しかも、薬も飲んでいたので、横になるとスコンと眠ってしまうんです。心が麻痺していたのか、怖さを感じる余裕すらなくて。お金を使わずにすむ方法は、それしか思いつかなかったんです。
──食事はどうされていたのでしょう? 中武さん:バイト先の惣菜屋さんで廃棄する食材をもらったり、公園で雑草をとったり。セミやアリを食べていたこともあります。 ── セミを!? まさにサバイバル生活のようです。 中武さん:『世界ウルルン滞在記』に出演していたころ、何度か昆虫を食べているので、抵抗はなかったです。貴重なタンパク源ですから(笑)。いちばん栄養があるのは、幼虫です。焼き芋のように落ち葉に包んで焼いたり、家に持ち帰ってホイル包みしたり、油で炒めたり。セミの成虫は、油で揚げて食べます。雑草は炒めて食べ、お腹をくだすかどうかで食べていいか悪いかを判断していました。