「すぐに優勝したことを後悔した」R-1ぐらんぷり2014年王者が“第二のキャリア”を見つけるまで
キッチンカーをしながら原点回帰
2019年の春には2店舗目となる町田店をオープン。1店舗目の好実績があったため、銀行の融資も難なく受けられたという。そして、年末に会社化して、これからと思った時にコロナがやってきた。 「コロナに入ってから徐々にお客さんが減っていって、緊急事態宣言が発表されてからは街から人が消えたようになっちゃって……。ただ、コロナ禍で外出に制限がかかっていたとはいえ、お店をしっかり守っていたオーナーはたくさんいますから、完全に僕の経営者としての力不足です」 さらに、コロナ禍で都道府県をまたぐ移動がしにくくなった結果、小田原店の管理が厳しくなった。「クレープ店は自分の目の届く範囲内で続けよう」と考え直し、同店を他のオーナーに売却して、町田店のみに経営を絞った。 「2022年の秋に、町田店をキッチンカーにリニューアルしたのですが、お店の場所が建物の入り口に移動したので、多くのお客さんの目に付くようになりました。週末になると、待ちの行列ができることもあります。いまでも週4日ほどは店舗に立つようにしています。店舗と違ってキッチンカーならではの苦労もありますが、基本的には楽しんで働いています」
コロナ禍でスケジュールが白紙に
一方の芸人活動のほうはというと……。 「コロナ以前も、ライブや営業はそれほど多くなかったのですが、コロナになった途端にスケジュールが真っ白になりましたね。毎年出させていただいていた演劇ユニットライブもできなくなりました。たまにリモートでトークライブをすることはありましたが、『仕事は待ってても来ないんだ』『自分で仕事を作るしかない』と色々と考えるようになりました」 2021年の夏、コロナ禍で生まれた劇場における観客数の制限、出演者の少人数化といったルールを守りながら、演劇ユニットライブを再開。実はこの時から、脚本家へのカウントダウンがはじまっていた。 「めちゃくちゃ楽しかったですし、ライブができることのありがたさを痛感しました。そして、この時にはじめて他の人へ脚本を書いたんです。というのも、コロナ以降は色々なルールが生まれたので、以前のように長尺のお芝居をしにくくなったんです。その代わりに、ショートストーリーをオムニバス形式でやることになったんで、僕も脚本を書かせていただきました。自分の脚本を俳優さんが演じるのを見るのは、また違った楽しさがありましたね」