鉄道ファン感涙! 廃駅「愛国駅」と「幸福駅」駅長との再会と、思い出のカツカレー
北浜駅の駅長さんとの再会を願う
最初の令和4年の時は、函館、旭川、稚内、遠軽、釧路、小樽、函館、東京と、北海道を鉄道で一周する旅で帯広には下車しませんでした。この時、特急の窓から帯広の町並みを見ていて、駅長さんにお会いしたいという気持ちが沸き上がりました。 さんざんお世話になっていながら、直接お会いして、心からお礼を申し上げていないなんて、人としてこのままで良いのかとの思いにも駆られました。 私は車内で、来年の令和5年に帯広で降りようと決めました。出来れば、駅長さんにお会いしたかったからです。 しかし、音信不通になって半世紀、駅長さんの手掛かりは全くありません。どこにいらっしゃるのか、ご存命かどうかもわかりません。いろいろなサイトで、「元国鉄職員」「北海道国鉄駅長」など色々調べたのですが、知りたい情報にたどり着く事はできません。探偵に頼むと、もの凄いお金が掛かります。 時間があると情報を得ようとパソコンで検索しましたが、知りたい内容があるサイトにはまったく辿り着けず、どうしたものかと困っていると、愛国交通記念館にある歴代駅長の写真をアップしている方がいました。 よく見ると、その写真の中に、なんと、駅長さんの名前があるのです!
駅長さんの現在は……?
藁にもすがる思いで、思い切って、愛国交通記念館を管理している帯広市役所に、駅長さんと私が出会った昭和45年からのストーリーを書いて投函しました。文面の最後に、個人情報の厳しい時代なので、私の方から探せる所があれば教えてくださいとお願いしました。 1カ月程経った頃、施術を終えてデスクに戻ると、私の携帯に名前の登録をしていない電話番号の履歴がありました。番号の横には「帯広」の文字が表示されています! もしかすると?と、ドキドキする気持ちを押さえながら電話をしました。お電話に出られた方は、明るい声の帯広市役所の方でした。その時、教えていただけた事は、 ・駅長さんは98才で、ご健在!(本当に嬉しかった) ・奥様は、残念ながら10年位前に亡くなられている。 ・駅長さんの息子さんに私の電話番号を伝えたので、息子さんから連絡があれば進める。 ・私に連絡があっても無くても、役所はここまで。 電話が掛かってくるかわからないのに、私の心はもう「ヤッター!」と叫んでいました。 からだ全体が熱を帯びた様になりました。この時の感覚は、今でも、はっきりと覚えています。 市役所の方にお礼を申し上げて電話が終わってから、ほどなくすると、駅長さんの息子さんから電話が入りました。開口一番、「覚えていますよ!いや~久しぶりですね!」と、高校生の頃にあって以来、半世紀ぶりなのに、ずっとお会いしているような温かな声を聴くと、正直涙が出そうになりました。 私が「駅長さんに、お会いする事が出来ますか。お礼と半世紀ご無沙汰していた事のお詫びを申し上げたいのです」とお伝えすると、「大丈夫ですよ!北海道へ来る日が決まったら連絡ください」と嬉しいお言葉をいただきました。 あ~良かった!本当に安心しました。その夜は一人で祝い酒をしました。