ラジオDJの母、宮崎ユウさん 発達障害の子育て経験きっかけに「ことば音楽療法士」としての挑戦
長女が14歳のときに発達障害と診断され
この教室を開いたのには、宮崎さんと家族とのある経験が深く関わっています。宮崎さん家族、“M家”のリビングに飾られた家族との思い出の品々。 ユウさん: 「これ七五三のときの写真なんですけど」 長男・晏似さんと長女・紅さん。 ユウさん: 「可愛かったですよね、ほんと。大変でしたけど」
7年前、当時14歳の紅さんは“発達障害”と診断を受けました。 ユウさん: Q大変だった思い出の方が多い? 「いっぱいですね、どっちかというと。喋ったら泣いてしまいそうなことがたくさん」 文部科学省の調査では、通常学級に在籍する小中学生の8.8%が学習や行動に困難のある発達障害の可能性があることがわかっています。 紅さんは、中学校時代、友達や先生とトラブルになり、宮崎さんが度々学校に呼び出されることも。そんな紅さんにとってお母さんは一番の理解者でした。
「私の憧れはママ」娘が見る母の強さ
ユウさん: 「これ私が誕生日で彼女が高校3年生のときにくれた手紙なんですけど」 (紅さんからの手紙) 「ADHDというものを自分がもっていると知ったとき本当に泣きわめいて、ママが仕事に行ったとき1人で枕に向かって叫んだりしていました。でもママは私にわかるように1個ずつ丁寧にわかりやすく教えてくれて、ADHDのいいところすごいところを教えてくれました。だから私は今こうやってADHDを胸を張って『大丈夫、みんなとちょっと違うだけ。私はすごいんだ!』って思えて心が楽になったし、堂々と言えるようにもなりました。私の憧れはママです。かっこいい人になることです。人に迷惑しかかけんような子どもやけどこれからもよろしくお願いします。紅より」 「…これ捨てられませんね」
現在、21歳になった紅さん。 娘・紅さん: 「私が『次の日から学校に行きません』って言ったら『じゃあママが行ってくる』って言ってママが学校に行ったりとか『本当に行かんの?』『行かん!』『ママが行ってくる』って」 ユウさん: 「『いってらっしゃい』って言われた。『行ってきまーす!』って」