村田諒太、恩師に誓うデビュー戦勝利!
ボクシングをやりきること。
村田は、ロンドン五輪を終えると、恩師の墓前を挨拶に訪れた。そして、プロ転向か、アマチュアとして海外留学かと、迷ったとき、何度も天国にいる先生に問いかけ続けたという。 「それには、ストーリーがあります。でも、その話はフェイスブックに書くので、それまで記事にするのは勘弁して下さい」 村田に、そう言われたので、それ以上の話は書かない。 私は、村田に、では、と問い直した。 ――武元先生にプロ転向、そして、デビュー戦のことは報告したの? 「しました。先生、ごめんなさい、プロに転向しました。悔いのないようにやりきります。そう報告しました」 ――先生は「なぜ五輪で連覇を目指さないか?」と怒っていなかったか? 「一度引退してもう一度やるときも『ああそうか』のひとことでした。きっと『ああそうか』とひとことを言って見守ってくれていますよ。怒ってはいないと思います。でも、僕が、プロの世界で後悔しないようにやりきらないと、きっと悲しまれるでしょうね」 やりきることーーそれが『プロ村田』の天国の恩師と約束したテーマである。 この日、後楽園の展示場で行われた計量を73・0キロのリミットで一発パスした村田は、短く記者の質問に「ファンの期待に答えるのが僕の仕事です。そして他人以上に僕自身が自分に期待しています」と語った。あの時、北京五輪予選の会場で、恩師が涙したことを聞いたとき、「自分に自分が期待していなかった」と、後悔したボクサーは、今、「自分に期待している」と言葉にすることができた。 大人の思惑に翻弄され、金メダルのプライドを踏みにじられたこともあった。人が信じられないこともあった。しかし、そういうすべてを乗り越えてプロの道を選び、米国で100ラウンドを超えるスパーリング積んできた。心も体も準備は終えた。対柴田用のボクシングスタイルも徹底してきた。恩師に胸を張れるほどに。 ――今回は、試合前に先生は、もう夢に出て来ない? 「はい。もう開き直れました。不安はありませんよ」 試合当日、南京都ボクシング部のOB会が尽力して武元夫人と息子さんをリングサイドに招待した。武元先生の遺影が、すぐそこで村田を見守っている。 (文責・本郷陽一/論スポ)