トヨタ名車で走り追求30年の父 「息子はオートマで免許取っちゃって…」持ち続ける“いつかの夢”
「今度、ハチロクの走行会があるから行こうよ」からどっぷりハマる
今や世界のクルマ好きの憧れの的・ハチロク。25歳の頃から自分流で乗り続けて約30年、サーキットの王道を走っている。54歳の塚原豊生(とよき)さんにとって、「なくてはならない存在」だ。1987年式のトヨタ・カローラレビン(AE86)。95年、25歳の時に中古で手に入れてからずっと大事にし続けている。(取材・文=吉原知也) 【写真】徹底し過ぎの軽量化にびっくり! 30年乗り続けてバリバリ走りまくるトヨタ名車の実際の写真 「初めて買ったのはホンダ・ワンダーシビックです。レビンの前は4年ほど、高校時代の友人から譲り受けたスプリンタートレノに乗っていました。いやぁでも、このレビンに乗って来年で30年になるんですね。若い頃は峠を走っていたのですが、そこにいるのはハチロクばかりで。本当にみんなハチロクに乗っていたんですよ」。まさに、名作漫画アニメ『頭文字D』を地で行く世界を経験してきた。 大人になって峠道は卒業。通勤車として普通にレビンに乗っていた。転機は会社の友人の誘いから。「今度、ハチロクの走行会があるから行こうよ」。そこから「どっぷりハマりました」。30歳の時だった。 初めて走ったのは、栃木・ヒーローしのいサーキット。最初は怖かったが、スピードを踏み込むと楽しさを感じるように。 家族を持つようになり、アクセル全開とはいかなかったが、年に2、3回、自分のペースで、走りの世界を満喫。ドライバーテクニックも磨いていった。息子が成長して成人を迎え、サーキットに足を運ぶペースが増えてきた。「子育ても落ち着いて、今は月1ぐらいで走りに来ています」と笑顔を見せる。 山梨・韮崎にあるサーキット場スポーツランドやまなし。この日はサーキット練習のために愛車レビンで駆け付けた。 徹底した軽量化に驚きだ。後部座席を取り除き、車検は2人乗りで通している。エアコンもパワステも外した。「パワステなしの仕様に載せ替える作業は自分でやりました」。エンジンは「中身もコンピューターも取り替えています」。トヨタ ツインカム16バルブをうならせる。コースを走る際は助手席も外して、最速タイムに挑戦している。 今とは違ってネットのない時代に、雑誌の情報を頼りに中古車を巡ってはハズレもありながら、他県で見つけた1台。今振り返るとアナログだが、探し回った日々も思い出深い。それに当時はやりのシルビアにするかも悩んだ。「それだけに思い入れが深いです」とかみしめるように語る。 当時中古で80万円で買ったレビン。近年の国産スポーツカーの世界的な人気の高まりを受け、ハチロク車種の値段は高騰。状態のいいものだと、中古車市場で300?400万円の値段が付くこともあるという。「こんな時代が来るとは思いませんでしたよ。ここまでになるとは思いませんでした」。 洗車をしていて「いいですね」と懐かしがられ、ガソリンスタンドでも注目される。あるときには、後ろを走っていたバイクが横付けしてきて、「きれいですね」と声をかけられたこともある。道行く人からスマホでパシャパシャは「ちょっと困りますけど、注目のクルマであることを実感します」と、ちょっと苦笑いだ。 自分の趣味をただひたすら追求してきた。サーキットのコンマ1秒のタイムに泣き笑いする世界だ。「『そこまで車に金をかけてどうするの?』と言われることもありますが、趣味の自己満足なんです。それに、人生を楽しめているので、夢中になれるものがあることはいいことなのかなと思っています」。 成人した息子は現在のところはクルマにはあまり興味がないそうだ。「息子がこのレビンを運転して、自分が隣に座って……。そんな夢はありますが、息子はオートマで免許を取っちゃって(笑)。でも、『オートマからマニュアルに変更できるんだぞ』と伝えています」。“いつか”の願いを抱き続けている。 「アクセルを踏み込める」別世界のサーキット。できる限り通い、そして「ないことが考えられない」愛車をこれからも大事に乗り続けるつもりだ。
吉原知也