《ブラジル》特別寄稿=天皇が編纂した世俗の流行歌集=「梁塵秘抄」図太く生きた庶民の心=サンパウロ市在住 毛利律子
「梁塵秘抄」とは
この「梁に積もった塵」という書名は何かというと、昔、中国に美声の持ち主がいた。その人がひとたび歌い出すと、辺りの空気が揺るがんばかりに響き渡り、梁の塵までも落ちるほどだった、という故事に由来しているという。 今様歌とよばれる流行歌謡は、当時人形遣いをしながら周遊する旅芸人の女性や遊女の芸として謡われていた。これらの女性は、当時の公家日記にも描かれるように、彼女らのもとに高位の貴族が訪れたり、あるいは彼女らが邸宅に招かれたりして、遊興の相手になることが多く、そのため、もともと地方神社の神歌とか民俗行事の民謡が、次第に洗練されて優雅な謡い方に変質していったという。庶民のみならず貴族の間にも多いに流行し、祇園祭などの御霊絵や大寺院の法会などで演じられた。 他方、僧侶の唱える声明(しょうみょう)系統の歌曲も、本来の宗教的な場から離れ、世俗的な場で歌われるようになり、言葉も曲や節も、それにふさわしく変質したらしい。この両系統から派生した各種の新しい歌謡が「今様」であるが、その愛好者だった後白河天皇は、それらの伝統的な謡い方を保存するため、傀儡子(操り人形師)や遊女などから直に習い、それらを集成し、歌謡集十巻が編成されたと伝わる。 歌謡集は、少なくとも15世紀後期までは伝わっていたが、その後は姿を消していた。ところが、明治44(1911)年に、巻二が和田英松により発見され、ついで巻一断簡が佐佐木信綱により紹介され、世に知られることになった。 現存するのは一巻、二巻の伝本であり、しかも18世紀後期から19世紀前期ごろの写本であるが、566首の歌謡は、日本文芸のなかでも特異な様相を示しているという。 巻一に収められていた今様265首は、七五調・四句形式を基本とする最新の今様歌と考えられている。その歌の趣は、民衆の日常生活が素材となっている農民・樵夫・漁師・陶工、呪師・山伏・あるき巫女・遊女・博徒の類に至るまで、さまざまな人物が登場し、かれらの日常生活を謡う。 巻二の法文歌220首は、仏教的な題材が共通する。曲調はおそらくお経の声明系統の特色が豊かで、斎藤茂吉・北原白秋・太田水穂などの歌人が強く『梁塵秘抄』に魅了された。 法文歌は、芥川竜之介・佐藤春夫など、大正期の新進作家だけでなく、坪内逍遙・森鴎外などの巨匠の作品に強い影響を与えた。