「競輪から薬学へ」元ガールズケイリン選手が薬剤師を目指す“意外なワケ”
引退後も続けている教官からの「訓示」
活動する舞台が変わっても、競輪学校時代の言葉が蘇り、毎日の勉強も苦にならず続けられた。そんな多大なる影響を受けた教官だけに、引退した今でも定期的に会い、近況報告をしつつアドバイスをもらっているそうだ。 「教官とは今でも大学の試験に受かったり、進級が決まった時など、節目のタイミングで連絡をして会っています。それで、教官と会う時は必ず帰り際に『訓示』をお願いしているんですよ。これは競輪学校時代の慣例で、訓練の終わりに教官から話を聞くのですが、引退した今でも続けてもらっていて。先日も会ったのですが、その時は訓示として手紙を貰いました。その手紙には『視野を広く持って3年生を過ごしてみてはどうでしょう』というアドバイスが書いてあったんです」 実は橋本さん、知り合いの大学院生からも同じような助言をもらっていたのだ。活動の場が変わっても的確なアドバイスをくれる教官。競輪学校時代、相当親身になって話を聞き、彼女のことを理解し尽くしている表れではないだろうか。 「半年に1回くらいしか会わないので近況も大して説明していないのに、ちょっと話しただけで私にとって的確なアドバイスをくれるんです。だから、本当に114期として入って良かったなと思っています。そうじゃなきゃ、岡先生には出会っていなかったですし、今の人生はなかったでしょうね」
努力の源は選手時代の師匠の生き様
大学の試験に合格した時や進級が決まった時、必ず報告する人がもう一人いるという。それが選手時代の師匠、小坂敏之さんだ。厳しくも温かさのある師匠、その温かさを引退後に改めて感じたそうだ。 「師匠だった小坂さんには厳しく育てられましたが、私が選手として生き残っていくために厳しく言っている、ということがちゃんと伝わってくる人でした。そんな師匠の温かさを、引退後に改めて感じたのが大学一年生の夏。『人生の中で競輪とどう向き合っていくかを話す前に引退になったが、その機会を成績が落ち着いた段階で設けようと思っていた。今は、この後の人生をどう考えているんだ?』と、辞めた後でも私のことを心配してくれました。本当にこの人が師匠で良かったです」