本当の作者は別にいる? 2025年の大河「べらぼう」の題材にもなった、出版人・蔦屋重三郎が隠した“写楽の謎”とは 田口幹人が『憧れ写楽』(谷津矢車 著)を読む
「谷津矢車という作家は、すごく難しいことを、何でもないようにさらりとやってのける書き手だ」 谷津さんの作品を読み終えた後、僕が常に抱く感想である。作品ごとに何らかの試み(いい意味でのたくらみ)を持って新作を世に送り出してくれるのが何よりも楽しく、知的好奇心を強く刺激してくれる。 一つ不思議に思っていたことがある。氏の出世作となった蔦屋重三郎の半生を描いた『蔦屋』が文庫化されていなかったのだ。 幕府が打ち出した出版規制の改革が逆風となって襲いかかるが、言論と出版の自由を守るために先頭を切って戦った蔦屋重三郎の姿を通じ、反骨精神いっぱいだった江戸出版人の心意気を活写した『蔦屋』は、喜多川歌麿、山東京伝、東洲斎写楽などおなじみのスター作家も数多く登場し、親しみやすさを演出する反面、言論弾圧などから出版というひとつの文化を守ることの意義を問うた最高に面白い作品だった。 今年10月、約10年の時を経てついに文庫化された。2025年の大河ドラマ「べらぼう」の題材が蔦屋重三郎であることが文庫化を後押ししたことは一つの要因かもしれないが、これまでも何らかの試みを持って物語を紡いできた印象が強い谷津矢車が、それだけのために文庫化を許諾したはずはない、とひそかに考えていた。 そう思っていた矢先、『憧(あくが)れ写楽』が発売された。 本書は、老舗版元の仙鶴堂主人・鶴屋喜右衛門が人気絵師・喜多川歌麿とともにある謎を追う物語である。追いかける謎とは、東洲斎写楽は、巷で囁かれている蜂須賀家お抱えの猿楽師・斎藤十郎兵衛ではなく、真の写楽がいるというものだった。 物語は、喜右衛門が斎藤十郎兵衛のもとを訪れた際、「東洲斎写楽の名で出た絵のうち、幾枚かは、某の絵ではない」と打ち明けられる場面から始まる。そこから、写楽の代表作である寛政6年5月興行を写した大首絵6作が、斎藤十郎兵衛の作ではなく、「本当の写楽」が書いたものである可能性を拾い集める展開へと発展してゆく。 そこに写楽の正体に迫る2人の行く手を阻む者が現れる。それは、写楽を売り出した張本人である蔦屋重三郎だった。写楽の正体の謎が徐々に明かされる過程はもちろん面白いのだが読み進めていくうちに、本書の肝は別のところに用意されていることに気付かされる。 売れるものに流され己の商いを見失いつつあった喜右衛門と、いいものを売る版元の正道を歩み続けてきた重三郎の商いへの想いがぶつかり合う中で、出版とは何かを問われている気がした。 10年の作家活動を経て、ふたたび蔦屋重三郎に向き合った氏の覚悟を感じることができる一冊だった。年末年始は、文庫『蔦屋』と併せてお読みいただき、谷津矢車の世界に浸っていただきたい。 やつやぐるま/1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞を受賞。翌年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。18年『おもちゃ絵芳藤』で歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。他の作品に『2月26日のサクリファイス』など。 たぐちみきと/1973年岩手県生まれ。合同会社「未来読書研究所」共同代表。著書に『まちの本屋』『もういちど、本屋へようこそ』。
田口 幹人/週刊文春 2024年12月19日号