なぜ夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した逸話が生まれたのか解き明かす 南沢奈央の“欲”に応える一冊
月が綺麗ですね
先日、有楽町朝日ホールに立川談春師匠の独演会を観に行った。“芸歴40周年特別企画”として、今年1月から10月までのあいだ、毎月4席ずつ大ネタを高座にかけて、40席やろうという試み。 このあいだわたしが拝見した会は、『三方一両損』と『紺屋高尾』だった。その前に“お楽しみ”として『かぼちゃや』を演じられていたのだが、「前座噺をやらない前座だったから、今回ちゃんと覚えてみました」というマクラでの話から、談春さんの前座時代が少しだけでも見えたのがやけに新鮮だった。 落語の芸が素晴らしすぎるのは言葉を尽くしてもここでは語り切れないので、今回聞いたマクラの話を、今回の読書日記のマクラにしたいと思う。お付き合いください。 江戸っ子の粋を表現するのに「宵越しの銭は持たない」とよく言うが、お金に対する執着がないのは現代も落語家のあいだに変わらずにあることだと話していたのが印象的だった。今でも出演料を聞かずに落語会に出演するし、お金で何かを解決するのは野暮。先日春風亭柳枝師匠が企画して行われた、能登応援落語会“チャリ亭”ではすぐに出演者が集まったという。千秋楽は談春さんの他に、春風亭昇太師匠、柳家花緑師匠という、普段はなかなか揃うことがない錚々たるメンバー。この一連で、“これってまさに『三方一両損』だな”と思ったのだそう。日常のなかに落語があることが感じられるエピソードで、その流れで入った古典落語には古典とは思えない風が吹いたのだった。 そして、『紺屋高尾』。談春さんの落語でわたしが一番好きな一席だ。これには、セットで必ず話すマクラがある。それが、夏目漱石が〈I love you〉を〈月が綺麗ですね〉と訳したという話。「事実ではないようなんですがね」と加えつつ、二葉亭四迷の〈あなたとならば死んでもいいわ〉と訳したという逸話のほうがが自分には響いたと、少し恥ずかしそうに吐露しながら、「愛」という言葉がなかった時代の「真の愛」の物語として落語に入っていくのだ。。