小林麻美が語る、東京の記憶とは? “伝説のミューズ”が思い出の街を振り返る
伝説のミューズ、小林麻美が“ジェントルマン”について考える新連載。 Vol.5は、生まれ育ったTOKYO=東京を振り返る。 【写真を見る】小林麻美さんの今
濃密で凝縮していた時間を東京で過ごす
街もまた時としてジェントルなエレメントとなる。小林麻美にとってのジェントルな東京とは「語るに値する場所」なのだそう。 よそゆきの服を着て家族と出かけた銀座、ナイトアウトに明け暮れた六本木など、夜の街の数々。彼女が見てきた街の記憶はギラキラとして、今も色あせていない。 「東京生まれで、何十年も暮らしているにもかかわらず、正直言ってそれほど知らないのです。生まれ育った大森、銀座、原宿、青山、六本木、渋谷くらいですかね。新宿はあまりわからないし、特に東側はほとんど馴染みがないです。先日、免許の更新で東陽町に行ったのですが、ほぼ初めてくらいで、東京といえども、知らないところがまだまだたくさんあります。考えてみたら、本当に狭いエリアでしか活動していなかったようですね。 子供の頃、家族とのお出かけといえば、日本橋の髙島屋でお買い物をして、屋上の遊園地で遊んで、銀座でごはんを食べるというコース。私とって、とっても楽しみな一大イベントでした。〈コックドール〉で洋食を、〈天龍〉で餃子を食べたり……と。銀座は実家のある大森から京浜東北線で一本でしたし、中学校が三田にあったこともあって、いちばん行きやすい場所でした。日劇の〈ウェスタンカーニバル〉にどっぷりハマるようになると、学校帰りに〈三愛〉でアクセサリーや小物を買って、〈三越〉の地下でホットドッグというのがお約束。その〈三愛ビル〉も取り壊すしですね。物語のある場所がどんどんなくなってしまいますけど、六本木や渋谷なんかと比べれば、銀座はまだまだ昔の面影があります。数寄屋橋の〈銀座教会〉、あの教会の石段がなぜかとても好きで、当時、もっと広かった記憶がありますけど、なにするでもなくよく座っていました。 高校生になると銀座から、赤坂の〈ムゲン〉や〈ビブロス〉といったディスコ。青山あたりではなにをやっていたかな? 朝までやっているプレイメイトというスナックのジュークボックスで踊っていました。『アンチェインド・メロディ』がかかると、あの頃がフラッシュバックしてきます。子供のくせにいろいろなところに出入りして生意気ですね(笑)。16歳でモデルをはじめて、17歳で歌手デビューと私にとっては恐ろしくの濃密で凝縮していた時間が流れていたんでしょうね」