死の間際まで宇部へ思い 高良さん宅で渡邊祐策の〝遺言〟メモ見つかる【宇部】
伝記の内容を裏付ける新資料
宇部市の発展の礎を築いた渡邊祐策の没後90年の節目である今年、祐策が死の直前に語った遺言に関するメモが、市内に現存するゆかりの人物の家で発見された。見つけたのは、祐策と親交が深く、衆院議員や市会議長を務めた実業家、高良宗七さんのひ孫で、同じ名前の高良宗七さん(59)。死の間際まで宇部の発展に心を砕いていたことがうかがえ、関係者は新たな発見を喜んでいる。 祐策は1934年7月20日に死去。死期を悟ると、先代宗七さんら関係者を順番に病室に呼んで後事を託したことは、伝記「素行渡邊祐策翁」に記されており、研究者などには周知のことだったが、メモの存在はこれまで知られていなかったとみられる。 メモは「渡邊氏遺言」として、先代宗七さんが残した手帳に残されていた。その一節に「宇部市もますます煩雑を来しているので、心配することが多いと思うが、万事よろしく世話を願う」という意味の言葉が書かれていた。 先代宗七さんは祐策よりも8歳年下。祐策が20歳代半ばの時、ともに藤曲の英語の夜学に通っていた旧知の仲で、それぞれに炭鉱の経営に携わるようになった後は、一緒に九州の炭鉱に視察に行くなど、非常に親しい間柄だった。 高良さんは、祐策のひ孫に当たる渡邊裕志さん(75)から、祐策と同様に先代宗七さんの日記もあるのではと指摘され、家の中を探したところ、先月に日記やメモなどが記された手帳類11冊を見つけた。 渡邊さんの勧めで新川歴史研究会の結成メンバーになったことをきっかけに、約3年前から郷土史について調べ始めており、今回の手帳類についても、内容と当時の宇部時報の記事などを見比べながら年代の特定などを進めている。 高良さんは「渡邊翁が死の瞬間まで宇部を気に掛けていたと知り、感動を覚えた」、渡邊さんは「伝記の内容を裏付ける資料が、何よりも高良家から出てきたことに感慨深いものがある」と声を弾ませた。