観客の拍手という「魔物」…実刑まで秒読みの「伝説のストリッパー」が「陰部露出」をやめなかった意外な理由
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第42回 『舞台上での「本番」にヤクザと警察の癒着…無法地帯すぎる昭和の「ストリップシーン」』より続く
引退公演の幕開け
一条、劇場、警察、それぞれの思惑が交差しながら72年5月1日、公演は初日を迎える。 この日の大阪は朝から曇り空である。彼女が劇場に入ろうとしたら、入り口に長い列ができていた。外国人の顔もあった。 「さゆりちゃん頼むで」 「わかった。まかしとき」 一条のやる気はどんどん高まっている。 引退公演(72年5月1日~10日)は7日目に入った。噂されていた警察の手入れもなく、連日の大賑わいだ。劇場近くには茶道教室があり、「嫁入り修業」の若い女性が通っていた。ストリップのファンがこれだけ劇場周辺に押し寄せては、教室を開けないと苦情が出るほどだった。 7日は日曜日である。一条の劇場入りは午後1時ごろだった。1時20分、司会者が一条を紹介する。和服姿の彼女は口上で引退を告げ、思い出の写真集を700円で売った。
押さえられた「証拠」
ショーに移る。一条は日本舞踊を舞い、札切(女賭博師)を演じた後、舞台に敷いた布団の上でロウソクショーが始まる。テープレコーダーの音楽に合わせ長襦袢を脱ぎ捨て、両手に2本ずつロウソクを持って乳房周辺に垂らした。さらに客席に向けて股を大きく開くと、身体をゆっくりと一回転させた。 その後、身体が透き通って見えるミニのガウンを身に着け、舞台の右側と左側に向かって陰部を披露し、「デベソ」と呼ばれる小舞台に身体を移した。中腰になり、客に向けた陰部を開いた。 一条はなんとなく劇場内の空気が前日までと違うように感じた。それでも気前よく陰部を開くと、前列の客が、「あんまりやりすぎると、危ないんとちゃうか」と言った。 しかし、いったん舞台に上がってしまうと、見せないわけにはいかない。日曜日である。伝説の「しずく」も見納めになると、遠方から来た客も少なくなかった。一条は中途半端な踊りはできないと思っていた。 その後、舞台を降りて、今度は腰巻きを舞台で脱ぎ、黒っぽいベビードール姿で陰部を客に向けた。青白いライトが股の間を照らす。一条は12分間、股を開き続けている。たらーっと「しずく」が垂れた。その瞬間だった。 パッ。カメラのフラッシュがたかれた。撮ったのは大阪府警の捜査員だった。その後の公判で、もめることを想定し、府警はこの日、証拠固めのためカメラを趣味とする刑事を劇場に潜入させていた。