衆院選に立候補し、政治家になった夫の妻 「想定外」の人生に…
運命の日まで1週間を切った10月22日。岐阜県各務原市の会場に集まった150人以上の聴衆がこちらを見ている。マイクを差し出してきた夫の目も、有無を言わせない迫力がある。覚悟を決めるしかない。仙田千鶴さんはマイクを受け取って前に出た。 「夫はラグビーが好きです。自分より強い相手にぶつかっていくから。そう言ってました」 事前の打ち合わせでは、「二人の出会い」について話すはずだったのに、違う話を始めた自分に驚いた。「ラグビーも選挙も一人ではできません。どうか皆さんの力をお貸しください」 身長1メートル80、体重88キロの夫を横目で見ながら、こう添えた。「でも、本人はラ グビーをやったことないんですけどね……」 その瞬間、会場は笑いに包まれた。出席者の一人から言われた。「仙田さんは真面目に演説するタイプだから、集会では初めて笑ったよ」 ◇ 千鶴さんが夫の晃宏さんの行動に変化を感じ取るようになったのは、2020年頃だった。会社から帰ると、何やら難しそうな本を読んで勉強している。そのうち、「政経塾に行きたい」と言い出し、休日はNPO活動を始めた。千鶴さんは確信した。「この人、本気だ」 確かに時折、「政治家になりたい」と言っていた記憶はある。「将来の夢はプロ野球選手か政治家かな」。いい年した大人が野球選手になりたいだなんて、どれも来世の目標だろう。そんなふうに思っていた。昨年1月、ついに「会社をやめて国会議員の事務所で働く」と告げられた。 ◇ 夫は大手通信会社に勤め、課長にもなった。収入も安定している。「わざわざ落選リスクのある政治家なんて目指す必要があるのだろうか」。そう思ったが、真剣な顔を見ると、反対する気持ちになれなかった。「迷惑かけないようにするから」。そう言われてうなずいた。 二人の出会いは、かつての職場だ。夫はすぐに面白い冗談が言えるタイプではない。ただ、目標は高く、仕事は一生懸命。そんな真面目なところにひかれた。 野球で2アウト満塁の時、自分なら絶対に打席に立ちたくない。でも、夫は「むしろ打席に立つ。打ったらヒーローになれる」と言った。自分にないものを持つ人だからこそ結婚した。それなら、夫がやりたいことを支えていこう。自分を納得させた。 ◇ 昨年12月、夫は岐阜3区から、国民民主党の候補として衆院選に出ることが決まった。出身は愛知なので地縁はない。東京の自宅と岐阜の往復を続け、流されるまま選挙戦に突入した。 序盤の役割は一運動員だったが、「情勢が厳しい」と伝わると、陣営の偉い人から「千鶴さんにも話してほしい」とお願いされた。まさか、人前に出るのが苦手な自分が選挙で演説するなんて……。夫に付き添い、何度も街頭に立つことになった。 10月27日の投開票日は、事務所近くのホテルで夫と開票速報を見守った。選挙区での敗北が決まって肩を落としたが、日付が変わった頃、「比例当選」の速報がテレビで流れた。「信じられない」。二人で喜んだのもつかの間、「早く当選の報告に来て」と連絡が入る。事務所に着くと、泣いているスタッフがいて自分も泣いた。 ◇ 選挙後は自分も会社をやめて、永田町の事務所で来客対応やスケジュール管理を任されている。会社で秘書をやった経験を生かして、支援者からの要望や陳情などを受けているが、民間とは勝手が違うことばかりだ。 夫の足を引っ張りたくないので、政治や法律の勉強もしなければならないし、人からどう見られるかも気になる。そもそも、次の選挙に落ちれば、二人して路頭に迷いかねない。 でも、未知のことに挑戦する場が与えられ、想定外の人生を楽しみ始めている自分もいる。「人についていくのも悪くない」。いまはそんなふうに感じている。
【取材後記】
選挙の取材でいつも気になる存在が候補者の家族たちだ。やる気満々の本人の陰で内心どう思っているのだろう。そんな質問をぶつけてみたかった。千鶴さんは一見、晃宏さんに流されているように思えたが、実は「自分が信じた人を信じてみる」という芯の強さを持っている人だと感じた。 コロナ禍で迎えた大学3年時の就職活動期。授業もなく、家にこもっていると、友人から「就活しろ」と説教され、新聞社を薦められた。もし、尻をたたかれなければ今頃どうしていただろうか。私も思う。人に従ってみるのも悪くないと。(小島駿佑 25歳)