「厄払い鯉」新年3日に 砺波・庄川町の奇祭 参加者確保、継承へ
●今年は12人 砺波市庄川町の奇祭「厄(やく)払い鯉(こい)の放流」が来年から1月3日に変更される。明治始めごろから1月7日に行われてきたが、参加する厄年の人が減少し、世話をする人の確保にも苦労するようになっていた。運営する庄川峡観光協同組合は正月三が日は多くの事業所が休みで、比較的参加しやすいとみており、富山県を代表する伝統行事の継承を目指す。 厄払い鯉の放流は庄川水記念公園内の放流場で行われ、新年の風物詩となっている。和服で着飾った厄年の男女が御神酒(みき)を飲ませた鯉を庄川に放ち、幸福と健康を祈る。 庄川町金屋地区在住や出身、ゆかりの人らが対象。金屋神明宮でお払いを受けた厄年の人のうち、男性は数え年25歳と42歳、女性は数え年33歳が主に放流する。庄川峡観光協同組合によると、かつては30人以上いた放流参加者が年々減少し、今年は12人だった。 1月7日に固定すると平日に当たる年が多く、参加しづらいとの指摘が以前からあった。富山県内では担い手確保のために日程変更する祭礼が出ており、組合は数年前から適切な日程の検討を重ねてきた。 庄川水記念公園には厄払い鯉の放流にちなんだ「鯉恋の宮」が整備されている。恋愛成就や縁結びを祈願するパワースポットとして庄川温泉郷や庄川峡の魅力の一つになっている。 庄川峡観光組合は厄年の放流とは別に、地元の園児による放流体験を実施しており、庄川町の伝統行事の普及にも努めている。 庄川峡観光協同組合の川崎和夫副理事長は「大事な伝統行事、観光資源なのでしっかり後世に伝えられるようにしていきたい」と話している。 ★厄払い鯉の放流 起源は、江戸時代後期の1816年(文化13年)に行われた金屋神明宮の遷宮祭にさかのぼる。祭に供えられた「庄川の主」とされていた鯉が、長時間の神事が終了しても生きていたことから、その生命力にあやかり、御神酒を飲ませて災厄を託し、放流したのが始まりとされる。