ダイナミックな遺構に戦乱の痕 菅谷館(後編) 山城ガールむつみ 埼玉のお城出陣のススメ
須賀谷原合戦の5カ月後、今度は高見原(小川町)で戦いが起きます。このように比企地方は15世紀後半から16世紀前半にかけて、享徳の乱、長尾景春の乱、長享の乱といった関東の戦乱の中心地になりますが、菅谷館はまさにこれらの動乱を物語る貴重な城館です。
ちなみに菅谷館は、16世紀中頃以降、両上杉氏の対立構造から、今度は両上杉氏と小田原北条氏の対立構造になると、やがて役目を終えたと考えられています。
また、戦国時代の歴史ロマンのみならず、畠山重忠の伝承があるのも菅谷館の魅力のひとつです。『吾妻鏡』によると、重忠は子重保が謀反の疑いをかけられ、これによって鎌倉で異変が起きたことを知り、元久(1205)年6月19日にわずか134騎で菅谷館を出発。鎌倉に向かったものの、重保は鎌倉で殺され、自身も途中の二俣川で鎌倉方の軍勢と激突し、討ち死にしました。この重忠の菅谷館が戦国時代の菅谷館の前身とも考えられており、現在は二ノ郭の土塁上に畠山重忠公像が建っています。
このように菅谷館は、源平合戦などの華々しい活躍が語り継がれる畠山重忠から、戦国時代の争乱の歴史まで、さまざまなロマンを楽しめる城館なのです。
菅谷館は国指定史跡として整備されているため、駐車場もあり、いつでも気軽に訪れることができます。平城のため、ほとんどアップダウンもありません。それでいて、遺構が良好に残り、見どころ満載。城めぐりをはじめる最初の城館としてうってつけです!
ぜひ、足を運んでみてください。
■山城ガールむつみ
歴史&山城ナビゲーター。歴史コンサルタント。歴×トキ(レキトキ)代表、三浦一族研究会副会長、一般社団法人城組副理事、千葉城郭保存活用会副代表、千葉県匝瑳市シティ・アンバサダーなど。
歴史やお城をテーマにしたイベントやツアー、講座を全国各地で多数手がける。県内でも歴史と城を使った町おこし、地域活性化の取り組みや、各地の歴史発信のための御城印発行プロデュースなどを行っている。