ダイナミックな遺構に戦乱の痕 菅谷館(後編) 山城ガールむつみ 埼玉のお城出陣のススメ
菅谷館は都幾川を臨む台地に築かれた城館で、現在は三ノ郭内に嵐山史跡の博物館が建っています。菅谷館はわずか比高約6メートルながら、周囲を湿地に囲まれた要害性の高い城館だったと思われます。また、東側には鎌倉街道上道の都幾川の渡河点、さらに対岸には平安時代の源氏のお家騒動の舞台であり、かつ戦国期までの使用が確認されている大蔵館と、大蔵宿があることから、このエリアが中世において重要だったことがわかります。 ■戦国時代にタイムスリップ気分 文明18(1486)年、長尾景春の乱など数々の戦乱において武功をあげた扇谷上杉氏の家宰太田道灌が、主人扇谷上杉定正によって暗殺されたことによって、長享の乱が幕を開けます。道灌の子資康をはじめとして、道灌暗殺に反発した親道灌派が扇谷上杉氏から離反、関東管領山内上杉氏を頼りました。そして、ついに両上杉氏が激突。菅谷館の近くで、死者700人とも伝わる「須賀谷原合戦」が起きました。 菅谷館の発掘調査では、15世紀後半から16世紀前半に城館として機能していたことが分かっていて、まさに須賀谷原合戦前後の時代に合致します。須賀谷原合戦後、菅谷館は鉢形城とともに改修整備され、扇谷上杉氏の河越城に対する山内上杉方の重要拠点のひとつになったと考えられます。 菅谷館は遺構が良好に残っており、現地ではダイナミックな堀や土塁を楽しむことができます。堀の幅約17メートル、堀底から土塁最頂部までの高低差約10メートルと、その規模に圧倒されます。また、横矢掛かり、枡形虎口など、技巧的な城の姿も見ることができます。そして、さらに現地で驚くのが各郭の広さです。おもに菅谷館は本郭、二ノ郭、三ノ郭、西ノ郭、南郭で構成されていますが、そのひとつひとつの郭がとにかく広い!山内上杉氏の駐屯地として、どれほどの兵がいたのかと想像するのもまた楽しいです。戦国時代の姿を色濃く残す菅谷館を歩くと、タイムスリップ気分を味わえます。 ■畠山重忠の伝承も魅力