V9と新時代をつないだ名バイプレーヤー、死球受けてもコーチから「痛い顔するな」と言われファウル判定となり…
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第31回は河埜和正。 * * * 河埜和正は、V9と新時代をつないだ名バイプレーヤーだ。 1951年11月7日、愛媛県出身。八幡浜工から69年ドラフト6位で入団。強肩と広い守備範囲を武器に、74年から1軍に定着。黒江透修に代わりレギュラーとなる。 74年7月9日の大洋戦で左ひじに死球を受けるが「痛い顔をするな」というコーチの教えで、痛くないそぶりをしたためファウルの判定。これに抗議した川上哲治監督が唯一の退場を喫したというエピソードがある。この年、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。また2試合にまたがって3打席連続三塁打も記録した。 77年は初めて規定打席に達しベストナイン。阪急との日本シリーズ第3戦では延長12回にサヨナラ3ランを放った。81年は全130試合に出場し、16本塁打、27盗塁、リーグトップの21犠打をマークした。 86年に引退するが、坂本勇人に更新されるまで球団最多の遊撃手出場記録「1370」を持っていた。 弟の敬幸(南海・ダイエー)とともに1000試合出場、1000安打をそろって記録した唯一の日本人兄弟選手である。
報知新聞社