「日本の残虐行為を許しても忘れない」…日本軍による「虐殺」に対する「フィリピン人の苦悩」
11月16日にマニラで開かれた「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞の授賞式。 【写真】「日本の残虐行為を許しても忘れない」…日本軍による「虐殺」に対する苦悩 受賞者の宮崎駿氏はメッセージを寄せ、太平洋戦争時のフィリピンでの日本による多数の市民殺害について、「日本人は忘れてはいけない」と強調した。 ※本記事は、12月6日発売の辻田真佐憲『ルポ国威発揚』から抜粋・編集したものです。
戦争の悲劇を記憶したうえで和解する
マニラより車で北上すること約2時間。アンヘレスといえば、かつて米軍のクラーク空軍基地が置かれていた場所として知られる。1944年10月に神風特別攻撃隊がはじめて出撃した場所もこの近くだった。 そこからさらに南西に行くと、「死の行進」が行われたバターン半島も所在する。日本軍は大東亜戦争の初頭、ここで大量の米比軍捕虜を炎天下に徒歩で移動させ、多くの犠牲者を出した。戦史に関心あるものならば、いちどは訪問したいエリアである。 そんななかで今回わたしが訪ねたのは、バンバン第2次大戦博物館(Bamban WWII Museum)という施設だった。道路脇にひっそりとたたずむ平屋建ての建物で、日本語でも「バンバン歴史博物館」と書かれている。ここは地元の歴史家ロニー・C・デラクルス氏が2005年に開設した私立の博物館だ。 私立といっても、好事家がつくったいい加減なものではない。日本軍の銃火器や装備品、水筒や食器類、果てはビール瓶までが体系的に整理され、ところどころに説明書きも添えられており、たいへん見応えがある。これらの多くは、近くにある日本海軍の防空壕などより発掘・収集されたものだという。 博物館のメンバーは、正会員14名のほか、アドバイザーや特別コンサルタントなどを含めて合計21人。地元のターラック州政府、フィリピン退役軍人局、日本の零戦の会、米国のカリフォルニア州軍事博物館とも提携しており、陣容としては申し分ない。 そのいっぽうで、手作り感も拭えなかった。庭ではサルやイヌが飼われており、その吠え声を聞きながら見て回らなければならない。猛暑のフィリピンにあって冷房さえない。 なぜあえてこのような施設を私費でつくったのだろうか。デラクルス氏は汗を拭いながら説明してくれた。 「わたしの祖父や叔父は、第2次大戦で兵士やゲリラとして戦いました。その子孫として、かれら英雄の記憶を永続させ、第2次大戦の歴史全体を保存することが大切だと考えました」 フィリピンの戦争博物館は、第2次大戦を熱心に扱っていないし、視点も中立的ではない。デラクルス氏はそんな不満も吐露した。「コレヒドール島(バターン半島沖合にある要塞島)には行きましたか。あそこの博物館は米軍の展示ばかりだったでしょう」。