野球でベースボールに勝ってほしい【川口和久のスクリューボール】
シドニーの記憶
2019年プレミア12で優勝を飾った日本代表に稲葉監督[中央]
アマチュアとの合同チームだったが、プロが初めて参加したオリンピックが2000年のシドニー大会(オーストラリア)だった。俺はTBSの仕事で現地取材をしたが、あのときはセ、パで温度差があり、西武の松坂大輔、ロッテの黒木知宏、近鉄の中村紀洋ら、パは各球団からトップ選手を1人ずつ出し、セは2球団だけ、しかも主力選手ではなかった。ただ、戦力的なバランスはよく、他国の戦力と比較しても、十分、金メダルを狙う力はあった。 海外での国際大会は選手時代にも経験がないので、いろいろな意味で新鮮だったが、最初に思ったのがグラウンドのひどさだ。「これで世界最高峰の試合をするの?」と思うほどデコボコで、内野手は怖かったと思う。そして何より審判だ。試合の流れや早さを優先するのか、左右のゾーンが明らかに広いだけでなく、しかも一定していなかった。 特にバッターは・・・
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週刊ベースボール