昭和から平成へ、食品業界に見る自粛と時代の読み方 1988年11月【食品産業あの日あの時】
「世界に冠たる即席ラーメンの発売三十周年を記念して日本即席食品工業協会が、ラーメンを題材にした短歌や俳句、川柳、広告コピーを募集したところ、愛好家から7月までに計一万点の作品が寄せられた。十一月初めの発表日はすぎた。ところが、待てど暮らせど入選の発表がない。不審に思った応募者が問い合わせたところ、『自粛して無期延期してます』との返事だった。発表のめどは立っていない。応募作品は塩漬けのままだ。」(『朝日新聞』 昭和63年〈1988年〉11月16日付より引用) 1988年の秋、日本は重々しい空気に覆われていた。同年9月から昭和天皇の体調悪化が報じられ、記念行事や派手なイベントごとが軒並みキャンセル、または縮小された。強制力を伴わない、いわゆる“自粛”である。プロ野球ではリーグ優勝した中日ドラゴンズと西武ライオンズが恒例となっていたビールかけを取りやめ、お昼の人気バラエティ番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系)からはオープニングの「ウキウキウォッチング」の歌唱が消えた。あるケーキ店では年末の生産計画を前年比で2割程度減らしたしたという。前出の『朝日新聞』によれば日本即席食品工業協会は同年11月、池袋サンシャインシティで「メンピック‘88」と題したPRイベントを予定していたが、9月の時点でそうそうにイベントの無期延期を決定。集まった川柳や俳句がどうなったのかは定かではない。 時はバブル経済真っただ中。多くの日本企業から高価格・高機能・高付加価値の新製品が続々と投入され、潤沢な広告宣伝費がそれらを後押しした。グルメブームに沸いた食品業界も例外ではなく、同年8月にロッテが発売した「V.I.P.チョコレート」は、まさにそうした流れを代表する商品だった。キャッチフレーズは「チョコレートもハイテク半生時代」。同社独自のS.E.P(スペシャル・エマルジョン・プロセス)製法で生クリームを直接チョコレートに練り込み、従来の板チョコレートにないなめらかなくちどけとフレッシュ感を実現。1個200円という高価格にも関わらず発売直後から好評を博した。CMに起用されたのは、前年におニャン子クラブからソロデビューを果たしていた歌手の工藤静香さん。「V.I.P.」の商品名にちなみ、ヨーロッパの王族風の衣装に身を包んだ彼女が「その日が来ました」と、チョコレートの新しい時代の到来を宣言した。 ところが放映開始から間もなくして、CMは同じような設定の別バージョンに差し替えられてしまう。新しいCMは明らかに合成で制作されており、工藤さんのセリフもカット、出演もわずか3秒ほどになってしまった。真相は定かではないが、前バージョンの「その日が来ました」というセリフがいわゆる“Xデー”を連想させるとして差し替えの判断が下ったとの噂が、まことしやかに囁かれた。現代から振り返れば過剰反応にも映るが、同時期には日産自動車が「セフィーロ」のCMから井上陽水の「みなさんお元気ですか?」というセリフを無音に差し替え、トヨタ自動車は「カリーナ」のCMからキャッチコピーの「生きる歓び」を削除していた。多くの企業は広告宣伝そのものを自粛し、広告業界では“菊冷え”なる隠語も生まれた。 「V.I.P.チョコレート」のCM差し替えから数週間後、時代は昭和から平成へ移り変わった。それから36年が経過した。私たちはその後も異なる理由で何度かの自粛期間を経験してきた。ウェブサイトやSNSのように手軽に情報発信できるツールが発達するいっぽうで、目に見えない“世間の空気”との向き合い方はより複雑さを増している。企業に問われるのは時代を読む力か、それとも空気を読む力か。 【岸田林(きしだ・りん)】
食品産業新聞社
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