魔の15分と金本イズム 阪神の9点差大逆転劇はなぜ起きたのか
優勝するチームには、「終わってみれば、あの試合が」という転機になる試合がある。 大フィーバーを巻き起こした1985年には、4月17日の甲子園での巨人戦で槙原から打ったバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発。 星野監督の元で18年ぶりに頂点に立った2003年には、5月9日の横浜戦(現横浜DeNA)で、浜中、片岡、アリアスの平成の3連発があり、7月2日の中日戦では桧山のサイクル安打もあった。 岡田監督が胴上げされた2005年には、9月7日のナゴヤドームでの中日戦。9回裏の本塁でのクロスプレーの判定に抗議した岡田監督が放棄試合寸前までに激高。再開後、3-3のスコアで一死満塁となったが、その絶体絶命のピンチに岡田監督は、当時の守護神、久保田にマウンド上で「もう打たれろ。むちゃくちゃやったれ!」と声をかけ、連続三振に抑え、延長の末に死闘を制した。 さて前置きが長くなったが、そこで、この5月6日、9点差の大逆転劇である。 阪神では球団史上初。他球団を見ても、2003年7月29日の日ハムーオリックス戦以来、14年ぶりの歴史的な試合だった。 「僕も長い間プロ野球にいるけど初めてですね」と、試合後、金本監督もビックリしていたが、実は記憶間違い。1995年7月30日に広島市民球場で行われた中日ー広島戦でも広島が9点差を逆転されて9-11で敗れていて、この試合に金本監督は、出場していたのである(緒方監督も出場している)。 4月23日の巨人戦で今季初勝利した横山が腰にハリを訴えたため、急遽、ファームの6試合では3勝2敗、防御率2.32と結果を残していたドラフト6位の福永にプロ初登板初先発のチャンスが巡ってきた。だが、試合後、「1軍の打者相手ではまだまだ力不足」と、福永自身が語ったように4回で10安打6失点。球質の重い動くストレートが特徴だが、それがシュート回転して左打者にことごとく打たれた。2番手の松田も守備の乱れなどもあって3失点。5回で0-9となり、福永の経験代としてあげたようなゲームになっていた。雨というコンディションもあって、福留を休養を兼ね途中で下げて、江越を使った。もう消化ゲームである。 金本監督は「お客さんに申し訳ない気持ちでいっぱいで、何とかちょっとでも盛り上がるシーンを作って沸かせて欲しいとは思っていた」という。 9点差という油断が、まず広島に自滅という名のヒビを入れていく。勝利投手の権利のかかる5回に先発の岡田が鳥谷に四球を与えてボークをやった。ここから梅野の1点目となるタイムリーである。